その男、もつを炊く。
思い出したように鶏レバーを買い求め、水にさらして血と臭みを抜き、静かにことこと炊いて好みに味付け、酒を酌む。こころ穏やかなること、うららかな春風が穂高の奥又白の、池の水面(みなも)を撫でるがごとくである。
レバーは、1時間ほど流水にさらす。水道水が冷たい信州松本だからこそ、できることかもしれない。
つぎに60秒だけ茹でる。茹でて流水にまたさらし、あら熱を取り去って三つに切る。中はレアである。そこに血の塊を見つけたら、丁寧にほじくり除く。ハツは脂を捨て断ち割って血の塊をよく洗い流す。これで臭みは、どこにも無い。
煮切った醤油と酒、みりんの鍋に、下ごしらえの済んだもつを投じる。
ことこと、またこころ静かに十分間だけ、炊く。
隣のガス台ではフライパンにたっぷりのごま油を流し、ニンニクを煎る。
焼き色がついて火が通ったら、もつの鍋に混ぜてしまおう。ここで胃袋が、ぎゅううと鳴る。そのときは冷や酒をなみなみと汲む。
余談だが、家では珈琲でも茶でもウイスキーでも、いつも同じチタンのマグで呑む。すすぐぐらいで洗うことも無い。だが、日本酒をチタンのマグに注いで唇を当てると、なぜか酒が酸っぱく感じられる。なぜかは知らない。知らないがいつも感じることなので、日本酒だけは大振りの蕎麦猪口に汲む。
冷や酒をきゅううと呷る間、ガスの火を強めておく。鍋が吹き上がるぐらいに。この一煮立ちだけで鍋をおろす。あとは1時間ほど、味が染みるのを待つ。炊き過ぎると、もつは堅くなって味わいに欠ける。いやらしいまでに照りを出して煮詰めることもあるけれど、今日はさっと炊いた。
味が染みる間、手持ち無沙汰と言うか、口寂しい。僕は何年も前に大好きだった煙草を止めてしまったので、また口ずさむ歌も知らないので、余計に寂しい。だから冷やで、もう二、三杯。