信州松本の城下町に、何日か雪が降り積もった日々のこと。
僕はまた、『イイダヤ軒』のカウンターに座っていた。
去年、松本駅前にある蕎麦屋の『イイダヤ軒』のことを取り上げ、
僕は愛している、と書いた。その理由は、蕎麦なのに豚骨ラーメンの「替え玉」みたいに、麺のお替わりができることに少なからぬ感動と喜びを覚えたからだ。くわえて、麺のお替わりをした僕のどんぶりに、出汁(つゆ)をレードルにそっと一杯、注いでくれたおばちゃんのやさしさに、たましいが震えたからだ。
とおい昔。僕は大学生で、親からの仕送りがなかったからバイトの掛け持ちをしていた。それでも入ってくるバイト代は、酒と本と山道具と、そして山に向う中央線きっぷ代のために消えていった。だからいつも、腹ぺこだったのだ。そんな日々、講義をさぼってバイトに向う途中の朝飯は、いつも駅の立ち食いそばだった。そして、麺のすべてをすすりこんでしまう瞬間が残念でならず、つゆを飲み干しても満たされないおのれの胃袋の虚ろさが、ただ呪わしかったのだ。つまり、いつも腹ぺこでもっともっと食べたかったわけだ。
いまとなっても蕎麦だけは、いや正確には豚骨ラーメンと蕎麦だけは、麺をダブルかトリプルで楽しみたい。そんな僕の願いがジャストにしてパーフェクトに叶えられる駅前蕎麦が、この『イイダヤ軒』だったという訳だ。
前置きが長くなってしまっているけれど、去年の僕は、天ぷら蕎麦を頼んだ。そして「天ぷら蕎麦を頼むんじゃなくて『かき揚げ蕎麦』になさるといい。きっとびっくりなさるから」とも
書いた。なのに、かき揚げ蕎麦のその後という話を一向にお伝えしていないことが、心苦しい。こうした背景が、本稿のかき揚げ蕎麦のことにつながってくる。
雪が降りしきる中を、僕は松本駅前に立っていた。
そして東京に帰る客人を無事に見送った安堵感からか、腹がぐぅと鳴った。目の前にはさっきから何度も書いている『イイダヤ軒』がある。この時の僕に、他の選択肢があろうか。
がらっ。
かき揚げ蕎麦を。
(と言ってお代を置く)
はい、おまちどうさん。
(とどんぶりが置かれる)
うふわっ。
でけえずら、まぁず。
ねぎも。
さすがに麺のお替わりは、必要なかった。
いまでも愛してる。イイダヤ軒。