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その男、薮の彼方に消ゆ

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2011年 01月 26日

山の匂いがする書物-01

【新編 山靴の音】  芳野満彦著 中公文庫
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僕が大好きな登山家のひとり、芳野満彦さんの名著『山靴の音』が新編になって出ていた。芳野さん、メディアへの露出はあまり見かけないけれど、新田次郎さんの『栄光の岩壁』のモデルになったクライマーと書いた方が馴染みがあるかも知れない。僕は恥ずかしながら『栄光の岩壁』を読んでいないのだけれど。


『新編 山靴の音』では、筆者自身の遭難のことを書き出しに、1957-1958ごろの前穂の東面や劔のチンネ、滝谷などを舞台にした登攀の記録が、とくに飾りもない文体で淡々と語られる。印象的なのは、おもに積雪期の初登という困難なルート、困難な状況がそこに描かれているはずなのに、不思議と悲壮感がない。前穂四峰正面壁の終了点、つまりほぼ山頂で冬の嵐に叩かれながらのビバーク、しかも装備をザックごと落としてしまった夜なんて悲壮かつ悲惨でしかない。しかしこのあたりの危うかった状況とかも、どこかカラリと書かれている。何度か死線をくぐった人ならではの身体感覚なのだろうか。とにかく筆致に前のめりな感じはないのだけれど、いつしか芳野さんの静かな闘志が伝わってきて、ちからをもらえるのだ。


ページをめくる。内容は上記の登攀記に続けて、冬の上高地での小屋番の思い出、さらに本物のアルプスへの遠征へと続く。僕にとって忘れられない記述もあって、芳野さんがある輝かしい登攀を終えた翌々日に、僕が産まれている。このころ父は、身重の母を放置して穂高だ槍だと山三昧だったと聞かされたれている。亡き母が大きなお腹を揺すっていたまさにその時その瞬間にも、父も芳野さんもクライミングを行っていたのだと思うと、何故か母が懐かしい。








【死のクレバス〜アンデス氷壁の遭難】  J.シンプソン著/中村輝子訳 岩波現代文庫
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アンデスのシウラ・グランデ峰をアルパイン・スタイルで登攀後、下山時に起きた稜線からの滑落遭難を、遭難者本人の視点から綴る壮絶な生還の記録。未読の方のために展開については書くことを控えるが、文字通りの極限状況にあって著者ジョー・シンプソン氏を突き動かしたものは何だったのか? 生への執着と言う簡単な言葉で置き換えられていいのか、あるいはその言葉でしか表せない生命が持つ本質的なベクトルなのか? 考え込んでしまって言葉もない。


しかし読んでいる最中は「ジョー、もういいよ」と何度語りかけたことか。「よく頑張った、もう充分だ」と。墜落着地したスノーブリッジの上でザイルの端を眺めた時に、あなたのこころは折れただろう? それなのにどんな力がジョーを行動させたのだろう。懸垂で暗闇の底に降りて行く時、最後に残っていた一本のスクリューを残置する時、どれだけの希望を持てたというのか...。


僕自身が事故で骨折して寝たきりに近い状況で読んだため、痛みへの恐怖、忌避感がもっとも強い時でもあった。読み続けること自体が大きな苦痛を伴い、ときには呻き悶絶し、ジョーの「感覚」を追体験している。同じ頃に「遊具大全」のロードマンさんが「ツイッターにおいでよ」と誘ってくれたが、「俺の骨はまだついってねーよ! プンスカ」と憤慨するほどだったのだ。もっとも著者シンプソン氏が味わった苦痛には遠く及ばないけれど。とはいえ、強いリアリティを感じながらの一冊であったことは言うまでもない。





【垂直の上と下】  小森康行著 中央公論社
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名著の絶版本が古本市の105円ワゴンにあった。前出の芳野さんのやや後輩にあたる小森さん、JCCのメンバーとして古川純一さんらと谷川一ノ倉、穂高や劔を舞台に、数多くの初登攀の足跡を残してきたすぐれたクライマーである。そういえば前掲の芳野満彦さんとは1958年冬の滝谷で、北穂の小屋で邂逅している場面が描かれている。芳野さんはグレポンの積雪期第二登、小森さんも同じくグレポンを狙って来たがドーム西壁に転進している。


前穂や甲斐駒七丈沢、池ノ谷劔尾根など、個々の登攀の記録は凄絶である。その壮絶な登攀記以上に印象深いのは、谷川岳衝立岩のザイル銃撃切断事件のこと。この事件への関わりでは、その経緯とか結果はともかく、事故現場に最接近して様子を確かめて来た目撃者・証言者としての記述は不謹慎だが興味深い。僕自身がリアルタイムにあの事故の報道に接した訳ではないけれど、歴史に刻まれたあの現場にしか起こりえなかった、特別な体験に触れることができるのだ。


なお、同時代のクライマー吉尾弘さんとザイルを結ぶ機会が多かったようで、吉尾さんの『垂直に挑む』にも描かれている同じ登攀の内容を読み比べてみると、両者のクライマーとしての視点の違いなんかもうかがえて興味深い。同じことは芳野さんの登攀にも吉尾さんが何度か登場するから、こちらも読み比べができる。
 




【山のパンセ】  串田孫一著 集英社文庫
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いまさら僕ごときが取り上げて寸評できるものじゃない。哲学者が散文詩でつづる深い思索の文学なのだ。この一冊は枕元に常備するヘッデンのようなもので、深夜目覚めてしまって空虚な天井を見つめるよりほかはないというとき、僕はこの一冊を開く。どこでもいいから開いたページの中のことばをたどる。串田さんの文章には自ら奏ではじめる旋律のようなものがあって、ささくれだった僕の神経を撫でて落ち着かせてくれる。


島々谷を歩く、そんな一夜のできごと様子を静かに綴った一文が例えようもなく好ましい。あの深い谷の屈曲した路を流れに沿って辿りながら岩魚留め小屋のあたりに近づいて行く。灯りを失って大地に横たわり、寝袋も出さずに眠る。この描写のくだりで困ったことがあって、串田さんは闇の底で「私は全くの闇の中で多分にっこりしただろう。そうして煙草だ煙草だと思う。赤い火が私と一緒に呼吸する」と書く。煙草を止めてしまった僕はここで、自分の唇が何年も寂しいままであることに気付いてしまう。あぁ... この一冊を手にしている時間だけ、こっそり煙草を吸おうかなと考えてしまうのだ。






【ああ南壁〜第二次RCCエベレスト登攀記】  藤木高嶺著 中公文庫
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1973年、当時は未登であったエベレストの南壁、現在では南西壁と呼ぶことが多いようだけど、第二次RCCは48名という大遠征隊を送っている。この遠征を、朝日新聞記者の藤木高嶺さんが同行し現場からの生々しい記録として発表したものだ。藤木高嶺さんとは、最初のRCCを創設した藤木九三さん、滝谷出合の藤木レリーフに刻まれた滝谷の初期開拓者のご子息である。これもご縁なんだなあ。なお、遠征隊の総指揮は、第82-83代内閣総理大臣をつとめた橋本龍太郎さん。遠征の概要やその成果は本書に譲るとして、凄いのはその物量というか何というか、スケールである。ここで現代的なアルパインスタイルと比較することは意味がないのでともかくだが、ベースキャンプ設置に1億円(当時!)の資金を投じたとか、装備は20トンで荷物は580個に及んだとか、凄いものである。ザイルは総延長28,235メートル、カラビナは1,200枚用意したそうだ。これでは残置されたナニも相当なものだったのだろう。このあたり、かつて主流だった極地法と言えば良いのか、その中身が実に興味深い。

この遠征隊、本来ならば戦後の登山界を牽引して第二次RCCを創設した奥山章さんが率いるはずだったという。奥山さんは闘病でこれが叶わず、壮絶な最期を遂げられたことが知られている。むかし僕の父が何度も話してくれたことだ。この書も、古本市の100円ワゴンに置かれていた。





【羆嵐】  吉村昭著 新潮文庫
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山岳、というジャンルからは逸脱するが、開拓期の北の大地を舞台にした、あの野生動物と人間たちの喰ったり喰われたりである。凄まじいのは、羆(ひぐま)が人間たちを襲っていく、文字通り味わいながら堪能していくという想像を絶するありさまで、一種のパニックが描かれる。「ありさま」とさらりと書いたが、ありさまは決してさらりとしてはいない。二度と読み返すのもおぞましいありさまなのだ。後半にひとりの猟師が登場し、さらに物語は展開していくのだけど、猟師はこんなことを言う。「最初に女を食った羆は、その味になじんで女ばかり食う。男は殺しても食ったりするようなことはしないのだ」。別な場面にある、臨月の妊婦が羆に喰われながらこう叫ぶ、「腹を破らんでくれ」。


本州のツキノワグマは、くらべて穏やかである。一度だけ暗闇の中からもの凄い威嚇の咆哮を放ってきたことがあるが、あれは多分繁殖の儀式の真っ最中だったのだ。この時以外、彼らは僕の気配を感じると一目散に逃げて行ったのだ。一方、北のでかい奴らは、僕を喰い物と思うのだろう。これだけは困るのだ。僕が山中に野垂れ死んで冷たくなった後は、動物たちの好きに委せることやぶさかでない。しかし僕を生き餌として見たり嗅いだりすることだけは勘弁して欲しいのだ。だから僕は、この一冊を読んでからというもの、大雪山にもトムラウシにも日高の山脈からも、まったく興味関心が消えた。札幌と小樽だけならグルメ旅も良いが、山間部に入るなんてまっぴらだ。




追記:ときどきこうして備忘録的な山の書が、ここに登場することだろう。僕はきちんとした読み手ではないので、誤解もあるだろう。もし間違った記述をしてしまったら、容赦なくご指摘、ご指導ありたいと願っている。

by yabukogi | 2011-01-26 17:42 | 書くまでもないこと


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