その男、薮の彼方に消ゆ

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2012年 10月 21日

あいしてる湖州軒

ある秋の週末のことだ。


松本城公園では、『そば祭り』が開かれていた。国宝の天守閣を囲む公園に、全国各地の新蕎麦や郷土食のブースが出る。市民もこの日を楽しみにしているようで、お城に向かって(登城でもするかのように)そぞろ歩き、また大勢の観光客が駆けつけて賑わうのだ。


僕はたまたま用事があって『そば祭り』会場を訪れ、その瞬間から、居場所を失った。ひとごみとか、賑わいとか、苦手なのだ。なるべく人影の少ない桜の樹の下にけつを据えて、知人がぽんと恵んでくれたワンカップ酒を呷る。

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【山清】という信州の蔵元で、かろやかさ、そしてきりりとした表情に個性が光る地酒をかもしている。安曇野の銘酒【廣田泉】と並んで、僕の人生には欠かせないもの。ふだんは安い紙パックだけどね。


酒のことはともかく、『そば祭り』が行われている公園で居場所も無くワンカップ酒を引っ掛けると、僕は本格的に飲みたくなってしまった。酒を。いや、酒は良いとして、そば祭り会場を離れて、なにか食べたくなった。蕎麦以外のもの、たとえば焼鳥とか寿司とか。


そこで、松本城公園を後にして、市街地にやっていそうな飲み屋を捜し始めたのだ。

お昼だった。平日なら上土の『しづか』が開けている。板長のSさんの前に座ってうなぎの白焼き! だがこの日は日曜日だった。うむむ、どこかやってないかい? 酒を飲みたくて、いや、何か食べたくて、店を探し続け、歩き続けた。うむむ、ちょうどよく飲ませてくれる、いや食べさせてくれる店が無い。

 しかたない。酒屋で立ち飲みか。
 それとも帰って、家で飲むか。

諦めてとぼとぼと帰りかける。やがて、さっきいた松本城の近くで、一軒の中華料理屋が暖簾を掲げてているのを見つけた。『湖州軒』だ。

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何度も通りかかったことがある小道だったが、『湖州軒』には入ったことが無い。うん、餃子もいいね。


2、3の常連さんらしいお客が、カウンターで飯を喰っていた。僕ははずれの方に腰をかけると、こんちはと小声で挨拶し、酒を頼む。お燗つけます? と訊かれ、いえ冷やでと返す。するとコップと徳利が出て来た。

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二代目だろうか、きびきびとしてシャープな動きの兄さん。おやっさんは常連さんと冗談を言い合っていた。


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僕の餃子。二人前だけど、僕のだ。肉汁ジューシーで味わいテイスティ、歯ざわりかりりと好ましくて食感ワンダフルな、僕の餃子だ。君のじゃない。




あいしてる、湖州軒。








店舗外観の写真をご覧になって、深川の『二笑亭』を思い出してニヤリとなさった方とは、きっと僕も友達になれると思う。
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by yabukogi | 2012-10-21 07:09 | ぶらぶらと歩くこと
2012年 10月 14日

豚骨街道を、南へ走れ

僕が住む信州まつもと平を南北に貫くのは、国道19号線。


なぜか、この街道沿いに数件、豚骨屋の暖簾(のれん)が見られる。当地で豚骨といえば南浅間松本駅前、諏訪の【狼煙】に尽きるが、たまには浮気して慣れぬ暖簾をくぐるのも悪くないだろう。


 ■□■

松本市街地から南下を始めてすぐ、南松本エリアの高宮で【二代目丸源 松本店】の看板を見る。

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ひときわ眼を引く看板に誘われてカウンターに座ると、多様なラインナップを展開させた豪華なメニューがあった。ふむ。必ずしも豚骨専門という訳でもないようだ。ファミリーなど「とんこつは、いやぁ」というニーズにも応えているのか、味噌や醤油を使ったものもあるようだ。つまり、僕のようなガチな豚骨原理主義者をターゲットにした店ではない。

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僕は「きゃべとん」をオーダー。ボリューム感を押し出した構成、グルタミン酸の利いたスープ、これが現代的な豚骨の在り方なのだろう。また食べたいか? と問われればイエス。でも厚化粧の女、という印象は否めない。



 ■□■

さらに街道を南下すると、JR篠ノ井線を陸橋で跨ぎ、かつての善光寺街道・村井宿に近づく。街道の西側には【山岡家 松本店】
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「とんこつ」のノボリにさそわれて暖簾をくぐる。どうやらチェーン店のようだ、ラインナップは豊富だ。


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豚骨ラーメンなのに太い、それこそスパゲティーか? という麺。呆れてすすり上げ、替え玉を待つ。そう、スープの味は悪くないのだ。すると替え玉は縮れの無い極細麺、しかし黄色い。まあ、これもチェーン店、ファミリー展開の現実か。



 ■□■

国道19号、村井宿にはもう一軒の豚骨屋がある。地元・安曇野豊科に鼻息の荒い豚骨屋【きまぐれ八兵衛】の姉妹店がオープンしたらしい、という噂を聞いたのはずいぶん前のこと。ようやく訪れる機会ができた。

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松本市村井、【きまはち商店】。週末だけあって、駐車場も混んでいる。待つこと30分。


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おぉぉぉぉぉ! スペシャルなトッピングに隠されてメインキャストたちが目立たないが、正統派の「白い豚骨」のようだ。替え玉が写っているのは、混雑時には初期オーダーで「かため」を頼んでおくのがクセなのだ。


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白く、まっすぐな細麺。この星の小麦がこね伸ばされた、由緒正しき至宝ともいえる麺。スープも十分に乳化、北部九州の街のラーメン屋の換気扇から流れ出る香りと同じ香りが漂っている。これぞラーメン。これぞ豚骨。やや調味料の痕跡が強いが、味わい自体は素朴にまとめ上げられている。そのポテンシャルは、相当のものだ。


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この一杯は、僕の豚骨になった。

また来よう。



 ■□■

街道をさらに南下する。松本市から塩尻市に変わった直後。
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塩尻市広丘吉田の【博多龍神】。替え玉二つまでが無料とは!

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ややおとなしめのあっさり豚骨を背脂で補う戦法か。うん、原理主義的に異端のレッテルを貼るほどではないが、くせがなく(常人にはしっかり豚骨臭い)守備範囲の広いスープが、どんぶりにたたえられている。及第点は楽々クリアしている。うん、また来たい店だ。

【追記:2013/01/05】
一昨日この「博多龍神」前を通過したら、違う店舗に変わっていた。同じくラーメン屋ではあったが、まったく異なるコンセプトの様だったので立ち寄らず、すぐそばの「スシロー」で昼飯にした。残念なことだ。



 ■□■

国道19号線。松本から塩尻に移動するだけで、これだけの豚骨のれんをくぐらなければならない。なんと危険な街道であることか。
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by yabukogi | 2012-10-14 17:37 | 喰い物のこと
2012年 03月 21日

いまでも愛してる、イイダヤ軒


信州松本の城下町に、何日か雪が降り積もった日々のこと。
僕はまた、『イイダヤ軒』のカウンターに座っていた。

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去年、松本駅前にある蕎麦屋の『イイダヤ軒』のことを取り上げ、僕は愛している、と書いた。その理由は、蕎麦なのに豚骨ラーメンの「替え玉」みたいに、麺のお替わりができることに少なからぬ感動と喜びを覚えたからだ。くわえて、麺のお替わりをした僕のどんぶりに、出汁(つゆ)をレードルにそっと一杯、注いでくれたおばちゃんのやさしさに、たましいが震えたからだ。



とおい昔。僕は大学生で、親からの仕送りがなかったからバイトの掛け持ちをしていた。それでも入ってくるバイト代は、酒と本と山道具と、そして山に向う中央線きっぷ代のために消えていった。だからいつも、腹ぺこだったのだ。そんな日々、講義をさぼってバイトに向う途中の朝飯は、いつも駅の立ち食いそばだった。そして、麺のすべてをすすりこんでしまう瞬間が残念でならず、つゆを飲み干しても満たされないおのれの胃袋の虚ろさが、ただ呪わしかったのだ。つまり、いつも腹ぺこでもっともっと食べたかったわけだ。



いまとなっても蕎麦だけは、いや正確には豚骨ラーメンと蕎麦だけは、麺をダブルかトリプルで楽しみたい。そんな僕の願いがジャストにしてパーフェクトに叶えられる駅前蕎麦が、この『イイダヤ軒』だったという訳だ。



前置きが長くなってしまっているけれど、去年の僕は、天ぷら蕎麦を頼んだ。そして「天ぷら蕎麦を頼むんじゃなくて『かき揚げ蕎麦』になさるといい。きっとびっくりなさるから」とも書いた。なのに、かき揚げ蕎麦のその後という話を一向にお伝えしていないことが、心苦しい。こうした背景が、本稿のかき揚げ蕎麦のことにつながってくる。








雪が降りしきる中を、僕は松本駅前に立っていた。

そして東京に帰る客人を無事に見送った安堵感からか、腹がぐぅと鳴った。目の前にはさっきから何度も書いている『イイダヤ軒』がある。この時の僕に、他の選択肢があろうか。



 がらっ。

 かき揚げ蕎麦を。
 (と言ってお代を置く)

 はい、おまちどうさん。
 (とどんぶりが置かれる)


 うふわっ。
 でけえずら、まぁず。

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ねぎも。

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さすがに麺のお替わりは、必要なかった。

いまでも愛してる。イイダヤ軒。
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by yabukogi | 2012-03-21 20:13 | 喰い物のこと
2011年 03月 07日

あいしてるイイダヤ軒

これも寒かった朝のことだ。雪が積もって、僕はMerrell のスーパーライトというマウンテンブーツを履いて出かけたぐらいだから。自宅から駅までてくてく、雪を蹴りながら小一時間。お、少し早く着いた。そうだ、立ち食い蕎麦を楽しむことにしよう。わかってくれるだろう? 雪の朝、3キロも歩いてきて時間が余る。朝飯は、まだだ。そんなとき目の前に立ち食い蕎麦の暖簾が揺れてたら、ためらう理由なんか無いじゃないか。

すぐ近所には、松屋もある。マクドもある。だけどこの朝の気分は、立ち食い蕎麦だったんだ。




これもためらうことなく、僕は天ぷら蕎麦を頼んだ。
元気なおばちゃんが、手際よくちゃちゃって、蕎麦をこしらえてくれた。
ここは前払いだ。
500円玉をカウンターに置いておくんだ。


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あぁ... できたよ。レンズが曇るほど、きっと美味いのだ。


熱いよ。美味いよ。切ないぐらいだよ。

え? 麺だけお替わりできるんだって。すごいよ。豚骨ラーメンみたいだ。

> 蕎麦なのに替え玉?
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by yabukogi | 2011-03-07 12:44 | 喰い物のこと
2010年 06月 01日

豚骨原理主義者の作法

端座して、静かに告げなくてはならない。


味たま載せ、普通で。


このとき、決して慌てたり舞い上がったりはしゃいだりしてはならない。
奮い立ったりむせ返ったり勢い付いたりしてもならない。
ましてや猛々しく叫ぶなど、もってのほかである。

静かに、こころ静かに、待つ。
茶席で過ごす時間と、なにも変わりはない。
息を荒げたり鼻孔を広げたり隣席のどんぶりを
物欲しそうに覗き込んだりしてはならない。
だからといって深呼吸するにも、無理がある。


カウンタさん、あがりっ。


この声が聞こえると、間もなくである。
数秒で届く。
しかし、だからといって首を伸ばして厨房を見やったり
箸に手を伸ばしたり割ったり、
目の前の辛もやしをむさぼったりすることも控える。


おまちっ。


この声で、どんぶりが、ようやく来る。
遠くに暮らすこいびとが乗った列車がホームに滑り込んできて
徐々に速度を落としやがて止まって、
しゅうぅっという音とともにドアが開く瞬間に似ている。

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ごとんと、どんぶりが置かれる。

>> 替え玉?
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by yabukogi | 2010-06-01 10:51 | 喰い物のこと