その男、薮の彼方に消ゆ

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2010年 09月 15日

鹿島槍ヶ岳・二日目後半

腹が減ると、この朝のことを思い出す。


もう夏の想い出となった鹿島槍二日目、2010年8月24日後半の行動。この未明に冷池のテン場を出発、鹿島槍ヶ岳山頂を訪れ、ぐぅぐぅと鳴る腹をなだめながらテン場に戻ったのだ。急いで湯を沸かし豚骨ラーメンに高菜漬けやキクラゲを投入したことは、さきに書いた。とにかく、これを喰ってテント畳んで撤収。



爺ヶ岳への稜線を歩き種池から扇沢に降りれば、僕の夏山は終わる。たった二日間だけど、大縦走でもバリエーションでも登攀でもない小さなハイクだけど、大切な旅が終わる。降りてしまえば仲間に来年までのアディオスを告げ、それぞれの街に散る。だから爺ヶ岳へ、扇沢へ、残された半日をたいせつに歩こう。



今日は、すべての一歩を忘れないぐらい、心にしみじみと刻みながら歩くはずだった。ところが、冷池から爺ヶ岳へと向う緩やかな登りがきつい。長い。水平歩道をイメージしてて、実際はそのようなものだが、きつい。昨日の疲れに加えて、朝の鹿島槍山頂往復の疲れを載せて、ふらふらに歩いているのだ。とても一歩一歩を心に刻むどころじゃない。途中、鬼軍曹のNut's氏がペースを合わせてくれるが、こらえきれず先行してもらう。むむむ。年齢同じくして、軍曹は原子力で動いているとまで囁かれている。これは基礎的な体力を養うことは勿論のこと、すみやかに疲労回復をはかるという技術的な問題もあるな。



冷池の乗越を過ぎて赤岩尾根の積雪期下降点をチェックする。ここか。確信は無いがたぶんここだ。春の陽光の下、僕がここを歩くことを想像する。本当に来れるか。きっと大丈夫、そういうことにしておこう。山を下りるときは、いつかまた来ることを考えていないと、切ないのだ。再会の約束の無い別れには、耐えられない。



爺ヶ岳北峰の直下ぐらいだろうか、遠ざかる鹿島槍を眺めようと振り返る。鹿島槍の両ピークは、いまや見えない。冷池乗越の鞍部に向って信州側からガスが上がってきているのだ。夏のお昼になると、必ずこうなる。前方の種池の鞍部でも同じく、扇沢から垂直に数百m上昇するガス塊は大迫力。おや? 種池小屋の発電機の音が聞こえるよ。眼下には、棒小屋沢源頭から十字峡へのひと筋の水のみち。そういえば小林喜作氏(1875--1923)、表銀座の名付け親で喜作新道の開拓者は、この棒小屋沢で雪崩に遭い亡くなっているのだ。



爺ヶ岳南峰で憩う。梅干と記念撮影。みんないい顔してる。




下りは、早い。すたこら行く。種池の小屋で飲み物を仕入れ、喉に流し込む。Jun氏が手ぬぐいを買ってマジックペンを借りて来た。記念の寄せ書き。このふつか間のことを ぼくは生涯わすれない たしかそう書いた。下山後の段取りを話し合う。Nut's軍曹は夕方のバスと翌日の高尾山という予定の縛りがあるのに、爽やかな笑顔で「松本で温泉と宴会!」と命令。このひと言で、みんなの頭の中は温泉と宴会のことに切り替わる。柏原新道の石畳を踏んで、扇沢へとゆっくりと下る。チャイ団長をつかまえて、秋山の相談をする。ねぇ、また八ツにしましょうよ、去年の赤岳も静かで良かったし... 沢の音がだんだん大きくなる。堰堤の傍らに降り立って、正面にランクルの四駆車が見えた瞬間、下界に戻ったのだと悟った。



松本市内で僕の近所の居酒屋に席を頼み、浅間温泉でひとっ風呂を楽しむ。クルマを置きに行ったカワム氏も合流。湯上がりのぷしゅっという音の替わりに、冷えたジョッキがぶつかる「ゴツッ!」という響きが嬉しい。みんなありがとう。飲む飲む呑む呑む、そして喰らう。wadac氏が日本酒に切り替える。僕も切り替える。河岸を替えて僕の家の茶の間でまた飲む...。早朝、ここはどこだ? と雑魚寝から目覚め、珈琲をいれて目を覚まし、抱擁して別れる。僕はひとり台所へ戻りクッカーを洗う。ブーツも洗って干す。テントとシュラフは2階の手すりに干す。気が付けばこのとき、旅は完全に終わっていた。







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どうもありがとう、こころから。

外遊び彷徨記】チャイさん
てくてく備忘録】wadacさん
nutsclubへようこそ!】nuts軍曹殿
アレもほしい☆コレもほしい☆もっともっとほしい】Jollyさん
雲の上まで行って来ます。】Jun(永遠の槍隊放題)さん
コカゲイズム】カワムさん
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by yabukogi | 2010-09-15 15:19 | 北アルプス・主稜線
2010年 09月 05日

鹿島槍ヶ岳・一日目

2010年8月23日。槍隊放題2010、一日目。



2時間以上も、膝を胸まで持ち上げるような登りが続いている。樹林帯でおおむね木陰を歩けると言うものの、気温は30度を超えているだろう。稜線東側に位置する赤岩尾根、朝の登りでは昇ってくるお日さまが、うまい具合に背中を炙ってくれる。僕は脇にシュリンゲでぶら下げた500ccのボトルに何度水を補充したことか。西股出合で汲んだ2Lはすぐに尽きた。全身の細胞が貯えている水という水が、ぜんぶ出て行く。あとは下界から持って来た1.5Lで稜線まで頑張るのだ。


大冷沢北股本谷脇の流れ込みから汲んだ水は、雪の味がした。稜線方向の右、鹿島槍東尾根の方を見上げれば、アラ沢の頭へ突き上げる雪渓が見えている。そう、赤岩尾根の両側にはまだ雪渓がたっぷり残っている。あぁ、山の水だ。岩清水は味も香りもしないようなイメージがあるかも知れないが、雪渓の末端で汲むような水は、たしかに山の味をまとっている。さっきまで僕の身体の細胞を満たしていた水は、松本市の水道水。この、水道管と蛇口を経て来たまちの水は、汗となってみんな出て行ってしまったわけだ。そこへ、ごくごくと北股の、稜線直下の雪渓を源とする水を流し込んでやる。身体の水が、山の水に入れ替えられる。こうして赤岩尾根を登り上げながら、僕の身体は少しずつ、山の一部となってゆく。

 >> 続きには、汗も涙も!
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by yabukogi | 2010-09-05 09:10 | 北アルプス・主稜線
2010年 08月 15日

遠く稜線へと続く森の道・大滝山

この日、僕は北アルプスの一角で、どこまでも深い森の中を歩いていた。

その森は、稜線まで続く深い深い森だった。どこまでも続くような、森の道だった。2010年8月15日。この日この山で、僕はたった5人のハイカーに出会っただけ。静かな静かな山だった。


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お盆休みの日曜日。なのに誰もいない。林道のゲートには地元ナンバーの4WD車が一台だけ、置かれていた。

鳥の声しかしない。どこでも聞かれるハイカーの熊鈴の音、交わす挨拶の声、乾いたストックの音、そうした音が何も無い。

僕も黙って歩いた。ときどき、熊が恐くてホイッスルを鳴らした。鳴らしても鳥たちはさえずりを止めない。これで熊たちにも聞こえてるのか、心細くなったりもした。

 >> つづきも、寂しいだけ...
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by yabukogi | 2010-08-15 20:58 | 北アルプス・常念山脈
2009年 08月 18日

槍ヶ岳 09/08/17-18

山の仲間とは、いいものだ。


ふだんは独りでごそごそやってるけれど、たまにはこういう山行に出かけたい。
2009年8月17日-18日、仲間5人で新穂高--槍平--肩の小屋(幕営)--南岳--槍平--新穂高、と巡る。


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肩の小屋のテン場に張られた、僕のエスパース。思い出せば酒を飲みたくなるような、楽しい宴会だった。背後の大きな高まりは、大喰岳。



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8月17日の夕刻、静かな山頂に立つ。僕はただ、そこから見下ろす北鎌尾根、そして独標の偉容に圧倒される。
この尾根の向こうに広がるのは、空じゃない。高瀬川が刻んだ深い谷が虚ろに広がっているのだ。今居る場所の高さを実感する以上に、北鎌の峻険さを思い知らされた瞬間だった。

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そして翌日は、南岳でひるめしを楽しみ、滝谷を眺めドームを仰ぎながら、浮き石だらけの長い長い下りを歩く。槍平の小屋を経て新穂高に帰り着いたのは、真っ暗になった20時過ぎ。何ともこころに残る山旅であった。
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by yabukogi | 2009-08-18 23:59 | 北アルプス・槍穂高
2009年 07月 05日

横通岳 09/07/05

2009年7月5日に、横通岳を訪れた。

常念岳のお隣さん、下界からの眺めはすっきりした姿で、稜線の風景を彩ってくれている、たおやかな山。



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隣の常念岳は、山頂がにぎやかな様子、一方、こちらは僕ひとり。


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北鎌尾根を眺めて、少しの時間を過ごした。
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by yabukogi | 2009-07-05 20:00 | 北アルプス・常念山脈
2008年 08月 14日

霞沢岳 08/08/14

霞沢岳を常念山脈の末端ととらえると、少し違和感も覚える。

しかし紛れもない事実で、上高地のあの裏山は、唐沢岳・餓鬼岳からはじまる山脈の続きなのだ。この山を歩いた2008年8月14日の記憶はいまなお鮮明で、部分的に薄れている部分もあるだろうけれど、なまなましい。その記憶の手触りの正体が掴めずにいる不思議さも、この霞沢岳という個性的な山の一面なのだろう。



霞沢岳を対岸にあたる穂高の稜線から眺めた時の印象は、強烈だった。標高はいくらか低い筈なのに、上高地から迫り上がっている。八右衛門沢や六百沢が突き上げている稜線部分は花崗岩の白い岩塔に囲まれている。鋭利なタワーをいくつも従えた、まるで天空の城塞のようだ。こんな姿のまま、僕のずっと古い記憶の中で醸されてきた憧れを抱いて、真夏の一日、無謀にも日帰りを試みた。



諸事情あって、つまりは育児とか家事の理由なんだけれど、家を空けることができなくて時間的な余裕の無い計画だった。しかも予報は雨、雷雨。好天を伺えば、今度は家を空けられるか判らない。だから僕の行動は、天候より家庭の事情で決まる。この夜も、夕食や子どもの入浴を終えて寝かしつけ、台所に戻って翌日分の食事の支度を終え、24:55に家を出る。哀しい主夫である。屋内は蒸し暑かったけれど、外はひんやり涼しい。すぐに肌寒さを感じてカッパを着込む。カブのキックペダルを踏む。霧雨に震える松本市街地を走りながら、国道158に突っ込む。




深夜に沢渡からタクシーに乗る訳にもいかない。けれど交通機関を待てば日帰りは叶わない。そこで、いくらか眉をひそめるようなことでもあるのだが、坂巻温泉の先で158号の「旧道」が残されている薮の中に、カブを置くことにする。こうすれば冬季の上高地入りと同じように、釜トンネルへとすぐに入り込めるのだ。




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02:21、予定通り、カブをデポする。風が出てきたのか、ガスが渦巻いている。やはり今日は雨か。硫黄臭いトンネルをふたつみっつ抜けたら、そこは釜トンネルのゲートだった。トンネルは新しくなっていた。むかし合宿でここを歩かされたおり、凍った路面にアイゼンを履かされたことを思い出す。真新しいコンクリのトンネルといえども、やはり恐ろしい。タマを縮み上がらせて後ろを何度も振り返り、何も見えないことを願いつつ、通過する。トンネルを抜けたら、余計に恐ろしくなる。霞沢発電所の方から凄い水音が響いてくる。ガスはいよいよ濃くて前も見えない。産屋沢の方ではけものの気配もする。引き返さずに進めたのは、再びあの恐怖のトンネルに入って行く勇気がなかったからだ。



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暗黒無人のインフォメーションセンターで朝食休憩後、05:20、霧の明神を通過。05:38、白沢分岐。白沢の道を峠に向う。途中、徳本峠のあるじ殿か小屋番殿と言葉を交わす。振り返っても明神岳、穂高岳は見えない。07:40笹の稜線に出る。峠の小屋に寄って行こうか瞬時迷うが、特に用事もない。佇まいが変わっていないか確かめたかったが、また来ればいい。これが多少の後悔を残すことになる。




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ジャンクションピーク2428への登りの傾斜は覚悟していた。が、道は電光型に付けられており、とても歩きやすい。08:45ジャンクションピーク2428でこまかい雨が降り出す。すでにカッパを着ていたので、ゲイターだけ装着。明神で水を注いだアルファ米五目ご飯を、歩きながら食べる。

ジャンクションピークから小嵩沢山方向、南への分岐を探すが、踏み跡のかけらも無い。たしかに無雪期にここを南へ向う記録は読んだことが無いから、そんなものなのだろう。僕が小嵩沢山へ向うとしても積雪期しかあり得ないだろうから、踏み跡など期待できないことを確認すれば充分だ。



尾根が北西方向に向きを変える。樹林帯の中、二重山稜となって池溏が現れる。積雪期のテン場の目星をつけておき、地形図に書き込む。地形図が雨で崩れそうになってくる。2320m付近ではじめてハイカーに会う。後方から現れてランナーの如く抜き去って行った。



アップダウンは、尾根の起伏を忠実に拾って、僕を疲れさせる。相当量のカロリーを摂取しているにもかかわらず、長時間の行動にバテはじめる。霞沢源頭部の崩壊地(地形図に記載がある)地点で10:25、坂巻温泉近くから歩きはじめて8時間が経過している。ザックのデポ地を探す。この先、行動食と水小物だけあればいい。しかしへろへろだ。ろくに休憩も取っていない。筋肉に乳酸が増えている感覚。だるさ。敗退の二文字が脳内点滅を始める。



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どうやら時間切れか。悪魔の直腸のような泥濘のK1の登りに悪態をつき、11:46、K1ピーク。視界の無いピークで立ったまま小休止。戻る? 進む? するとガスの中、霞沢岳本峰方面からハイカーの一団が現れる。「これからですか、がんばって」「いや、時間切れなのでここで帰ろうと思います」「なにを。往復50分ですよ」

これで気持ちが定まった。別に帰りのバスの時刻に縛られる訳じゃない。最悪、ツエルトも持っている。



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K2付近でいよいよガスが濃くなる。対岸の穂高はおろか、すぐ隣の六百山すら見えない。




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12:20、ようやく、諦めかけた末にとぼとぼと辿り着いた山頂にて。


山頂からさらに伸びる縦走路は、ない。一面のハイマツの海は深く、無雪期に歩けるところではないのだ。僕の後には、時刻を考えると誰も来るまい。追い抜いて行った高速ハイカーも、往復50分と励ましてくれたグループも帰路に着いた。つまり、このとき、霞沢岳には僕しか居ないのだ。ながく憧れた山頂に座り込んで、やがてざぶざぶと音を立てて降り始めた雨の中に放心して、少しだけ過ごす。視界はさらに閉ざされ、雨はどんどん激しくなる。


不思議なものを見た。
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こんな標高の高いところに、ひきがえるが居る。何を食べているのだろう。




かえるの写真を撮っていると、空気がぴーんと震える。ホコリっぽい匂いがし始めたら、対岸の穂高でばりばり落雷が始まる。霞沢岳は、独立峰である。三本槍と呼ばれる鋭いピークを持つ。これじゃ避雷針みたいなものだ。僕は夏の午後に、その上に座り込んでるのと同じだ。




残っているグリコーゲンをぜんぶ燃やしながら、僕は走った。近くに落ちはじめたら稜線に身を伏せるしかない。登り返し以外、駈けた。K1ピークの下りで泥だらけになって、ようやく樹林帯に入り込めた時にはふらふらになっていた。

雷の音はだんだん遠くなっていった。しかし雨ははんぱじゃない。滝のように落ちてくる。デポしてあったザックもずぶ濡れ。カメラを仕舞って濡れたザックを担ぎ、ジャンクションピークへ登り返す。さらに、峠から上高地に降りる沢の道は増水して足の置き場が判らず歩きにくい。まだまだ旅は終わらない。記録がないので正確ではないが、遊歩道がすっかり冠水した明神に戻ったのは17時近かっただろう。そして小梨平を過ぎて帝国ホテルを眺め、だんだんと暮れなずんでいく上高地を後にしてふたたび釜トンネルに潜り込む。カブを薮から引っ張り出したのが20時近く。なんと17時間以上の行動となった。





峠の小屋は、その後取り壊され、一部を残しつつも再建された。少年時代に島々谷から登り上げて辿り着いたあの佇まいには、もう出会えない。
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by yabukogi | 2008-08-14 23:00 | 北アルプス・常念山脈
2008年 06月 18日

常念岳 08/06/18

【過去のハイクを記載】

さきに、煙草をやめてすぐに蝶ヶ岳へ行った、と書いた。禁断症状が出たら、蝶ヶ岳の稜線を仰いでこらえるんだとも。期待はずれだったのは、自宅からは蝶ヶ岳が見えない。脂汗が吹き出して全身が震えはじめたときに、眺める対象物が無いことだった、


そこで、晴れていれば窓の向こうにでっかく聳える、常念岳に向かった。2008年6月18日のことだ。

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この日、東京から来ていたT氏と行き会い、いまでも手紙のやり取りは続く。


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山頂から、やはり視線はこのあたりに向かってしまうのだ。
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by yabukogi | 2008-06-18 23:00 | 北アルプス・常念山脈