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2010年 10月 30日

その男、鰊を炊く。

秋が深まると、その男は鰊(ニシン)を炊く。鰊は「春告げ魚」とも言われるように春に美味い。これを昔ながらのやり方で干物にしたら初夏であり、熟成させても夏が旬と思える。けれどもその男、なぜか寒くなると食べたくなる。


鰊は本来、かちかちに干し上げた本物の身欠き鰊を使った方が美味い。北国の海風に長期熟成された本物ならではの旨味である。それも脂身の少ないものが風味はまさる。京都のめし屋では、この本来のかちかちの本物をていねいに炊いた煮物が味わえるのだが、その男には京の都で美食を愉しむゆとりもない。本物のかちかちを手に入れて、手間ひま掛ける「づく」も足りない。




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そこでソフトタイプの身欠き鰊に手を出してしまう。しかしこれはこれで熟成させていない分あぶらが酸化していない。だから脂をしっかり味わえるのが嬉しい。江戸前のにしん蕎麦にも、たぶんこのソフトタイプの方が合う。柔らかな僕にも、ソフトな鰊が似合うのだ。

>炊いてみろ男
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by yabukogi | 2010-10-30 16:11 | 喰い物のこと
2010年 10月 25日

静寂と展望の稜線・烏帽子岳 2010/10/24

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北アルプスは、冬を迎える。林道ゲートが閉まると物理的にも稜線は遠くなる。せめて、今年の山遊びの御礼をひと言申し上げねば気が済まぬ。日帰りでどこか... そう思案していたらご近所のカワムさんがご一緒くださることに。ふたりでプランを出し合い、前の日まで行き先に迷いに迷ったが、日帰りでブナ立て尾根から烏帽子岳をおとなうこととする。2010年10月24日、高曇りの空は午後まで泣き出さず、僕らの下山に合わせるかのように細かい雨つぶを落とした。


七倉の駐車場にカワムさんのクルマを置いて、0430歩き始める。高瀬ダムで東の空が明るみはじめ、不動沢の吊り橋あたりでヘッデンが不要に。濁沢方面には足場を組んだ歩道が仮設されている。


人影は、ない。気配もない。遠くに姿を認めることもない。

>> 続きは稜線で...
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by yabukogi | 2010-10-25 20:46 | 北アルプス・主稜線
2010年 10月 17日

飽食パラダイス2010

秋の深さは、たとえば蛇口の水の感触で、そのまま冬の近さを教えてくれる。


山の生き物たちも、せっせと冬の長い眠りに備えて栄養と脂肪を貯め込んでいることだろう。僕にももうすぐ冬が来るのだ。凍てつく信州の空気の中に、数ヶ月を過ごすのだ。


高菜漬けのストックが切れた。庭の青唐辛子で味付けしてみよう。

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 ◆付記
 僕の食卓に、高菜漬けは何が何でも必要で、白いご飯の時と豚骨ラーメンのトッピングには欠かせないのだ。さらに言うなら、ギアラックの片隅の食料ボックス、ただの段ボールだけれども、この中には【マルタイの棒ラーメン屋台九州味】が1ダースくらいは常備在庫されていなければならんのだ。

 >> 読むと太るかもしれない
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by yabukogi | 2010-10-17 14:48 | 喰い物のこと
2010年 10月 13日

阿弥陀岳・中央稜 2010/10/12

秋の一日、八ヶ岳に遊ぶ。

紅葉が見頃だからと迂闊に人気の山に出かけると、エライ目に遭う。特に何とか名山とか、山小屋があるようなコースだとこれは顕著。20人や30人といったグループで、ツアー登山なのか同好会なのかは知らないが、山中深くに行列と喧噪を見ることになる。他人の行動には感心が無いので是も非も何も無いが、僕はせめて静かにまろやかな山の時間を味わいたい。この時期の北アの人気コースはとにかく混み合う。人ごみを避けるのならば、静かに例えば七倉尾根とか餓鬼岳あたりを歩けばいいのだけれど、あの辺の山の懐は深くて日帰りがしんどい。ならばということで、短時間でさくりと歩ける八ヶ岳に静かなやまみちを探す。

今回は火曜日を予定しているとはいえ、行者小屋や赤岳鉱泉の方から入れば、それなりに混むだろう。そこで、広河原から阿弥陀岳に突き上げる短い中央稜を歩くことにした。2010年10月12日火曜日のことである。

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 >> ビバ阿弥陀岳
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by yabukogi | 2010-10-13 17:36 | その他の山域
2010年 10月 11日

浅間温泉・倉下の湯

信州松本の浅間温泉には、いわゆる共同浴場という「まちの湯」が多数存在する。そのほとんどは、町会の組とか班とか、つまりご近所組合で営まれているクローズドな湯で、旅人風来がふらりと入浴できるものではない。その数10カ所ぐらいは確認できたが、民家や納屋にまぎれてもっとあるかもしれない。一方の外湯としては「枇杷の湯」や「浅間温泉会館」ほかいくつかが知られ、ガイド本やカーナビにも載ってるから、連休などはすごい混み具合。駐車場に入りきれないクルマが温泉街の路地を行ったり来たりしている。


ここ「倉下の湯」もそうした外湯のひとつなのだけれども、そのたたずまい故かクチコミ故か、訪れる人は少ないようだ。僕自身はすぐ近所に住んでいたから存在は知っていたが、入湯は今回が初めて。


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門構えというか外観というか、一見は民家そのもので看板を外したら誰にも分からない。


がらり戸を開けておとないを告げる。こんにちは、入れていただけますか? 温泉施設ならば当たり前のような、いや不自然なような声を掛け、奥から出てきたあるじと思われる男性に200円を払う。券売機とかではなくて、コインをふたつ、置く。するとあるじ殿は裏紙を束ねた帳面のようなものに何か書き付ける。男性一と「正」の字に書いたに違いない。僕はこの日、何人目の湯客であろうか。

 >> はたして、お湯は?
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by yabukogi | 2010-10-11 11:00 | 湯けむりのこと
2010年 10月 08日

露天に甚句を味わう

近所の露天風呂に出かける。

少しだけ時間が空いたのを口実にして、湯へ。美ヶ原温泉と呼んでいるが、僕には「つかまの湯」がちょうど良く思える。手元の『枕草子』には、「湯は、ななくりの湯、有馬の湯、那須の湯、つかまの湯、云々」とあり、平安の頃、この湯はみやこに聞こえるほどの名湯だったのだ。もっとも、枕草子には写本がいくつか存在し、記述もそれぞれ多少異なるようだ。だから清少納言が真実この湯を知っていたのか、いまでは分からない。「つかまの湯」は言い過ぎだ、と憚りがあれば「山辺の湯」あたりだろう。と言うには理由もある。

この源泉の湧く湯ノ原の地一帯を広く、山辺(やまべ)という。古いふるい古文書には「山家」の字を当てている。針塚古墳という川原石で覆われたおおきな古墳のほか、いくつもの塚がある。惣社(そうざ)という地名が隣接するが、惣社は総社につながる。いにしえの国府があったのだろうか。信濃の国の国府が何処であったか、じつは誰も教えてくれない。確かなことが分からないからと言う。国府が何処であったかはともかく、ふるい王朝の記憶につながるような遺跡や地名があるのだ。これだけで僕には、奈良の都の「山の辺の道」を思い出させてくれる。こんな東山道のやまぐにの片田舎の、さらに鄙びた郷をもって王朝の記憶もなにもあったものではないが、僕は勝手にそう思い込んでいる。


そんなことはどうでもよろしい。とにかく、少し空いた時間に僕は、近所の美ヶ原温泉の湯に浸かりに来たのだ。入り口で300円を払って、脱衣所で脱いで、カランの前に座る。水曜日の午前中というだけあって、観光客の姿はないようだ。ご近所のおじいちゃんたちばかりである。その中に混じって坊主頭の中年男が身体を洗って、湯に浸かる。僕は圧倒的に開放感溢れる露天風呂が好きだから、何はともあれ露天に浸かる。




露天からの眺めはない。

高い板塀を内側から仰ぐだけである。東屋(あずまや)の大きな屋根と庇にさえぎられて、空がわずかに見える。どぉんどぉんと響きを立てて源泉が流れ込む。循環させているけれど、このどぼどぼ鳴る源泉はまぎれもなく源泉で、飲める。近所のおじいちゃんたちは内風呂が好きだと見えて、外には来ない。しばらく僕が独り目をつぶって居眠りしかけていると、誰か出て来たようだ。気配がしてじゃぼんと湯が揺れる。ひと呼吸をおいてから、お約束のように「うぅむ...」とじいさんが唸る声が聞こえる。「うぅむ...」で絶句してしまったようで、一瞬、心肺のはたらきを案じた僕が薄目を開けると、はげ頭が見事なおじいさんである。このはげ頭のじいさん、ようやく呼吸が整ったのか、今度はなにやら唸りはじめる。




甚句ではないか。

このあたりの男たちは、甚句(じんく)を能(よ)くする。御柱(おんばしら)で知られる諏訪大社さんや、他にも集落ごとの小さなお宮のお祭りで、木遣りやこうした甚句が披露されたりする。いわば、集落ごと、地区ごとに無数の節回しが存在するのだ。甚句によって異なるが、囃子詞を待つのか間延びした箇所もあれば、やや緊迫した部分もある。しかし共通してどこまでものどかなのだ。この春、鳳凰へ向うため、僕は松本駅から中央線の夜遅い上り列車に乗った。その頃、諏訪や茅野では御柱のお祭りの真っ最中。その日の祭りを終えてお神酒をしこたま飲んだ男たちが列車に乗ってくる。ラッパを持つ者、オンベを抱えた者...。がらがらの車内で即興の木遣りが出たり、甚句を唸ったり、それはそれは楽しい山へのアプローチだったのだ。また脱線しかける。とにかく、露天風呂ではげ頭のじいさんが、いい具合の甚句を唸っている。それを僕は、目をつむって聴いているのだ。




旅の唄か?

のどかなのだ。七七七五、という構成があって、間と言葉がすすっと意識に入ってくる。なんとなく、いくつかの風景のような幻視が浮かぶ。軽井沢から小諸にかけて続く浅間山麓の旅の空...。あるいは、木曽路を馬籠から降りていくとき、谷がひらけてくるあのゆったりした気分...。だまって聴いているだけで、いくつもの街道の風景や旅の記憶を思い出させてくれる甚句である。くわえて、見知らぬ土地の未だ見ぬ風景に誘うようなしらべである。うん、僕も旅に出たくなる。




じゃぶりと音がして、甚句がやんだ。

じいさんが湯から出て湯船の傍らで岩の上に涼んでいる。ふたりだけだから不自然でもなく、僕の方から話しかける格好になった。演奏後にオーディエンスが拍手を贈るのと同じだ。

「おとっつぁん甚句かい、いいじゃん」

「うふぇふぇ、まぁあ、長久保甚句だ」

「どこかの馬子唄かや? 小諸の馬子唄とは違うだね」

「うふぇふぇ」

山辺の郷から南西に薄川(すすきがわ)を遡れば、和田峠に抜ける。和田峠と言えば中山道の難所で知られ、ビーナスラインが霧ヶ峰にさしかかるあたりだ。この北には長久保のまちがある。この長久保に伝わる座敷唄が、おとっつぁんがうなってくれた【長久保甚句】なのだと言う。おとっつぁんの講釈によれば、長久保は古くからの宿場街として栄え、善光寺参りの衆が宿をとったそうな。飯盛りのおなご衆も多く、旅人を迎えもてなす際にはこうした甚句が披露されたという。

「まぁず... よく知ってるだね、おとっつぁん。歴史の先生みてぇだ」

それからもひとくさり、中山道の宿場の言い伝えとか善光寺参りの「賑やかい」様子とか、武田信玄の軍勢がどうしたとか、もっと古くは黄金を携えた渡来人たちが大陸から大勢この山辺の地に移って来たとか、じつにいろいろと聞かせてくれる。うんうんと、目はつぶりながらも話はちゃんと聞いていて、僕のこころは時空を超えて旅に出ている。いいものだ、期せず露天風呂で味わい深い甚句を楽しみ街道の歴史の浪漫に浸る。こんなにも旅情が募るのは、そうか、空の高さであったか...。いつしか秋は、深まっていたのだ。



すこしくつろいで、ぬる湯で知られるこの湯でも少々のぼせてきた。おとっつぁんも同じと見えて、ちあきなおみの『喝采』を歌いながら、この物知りのはげ頭の先生、湯殿から去っていった。しかし、『喝采』の歌詞もメロディーも、どうも違う。他の歌の歌詞が混ざっている。ははぁあ、無茶苦茶ずら。ずいぶん長く詳しく歴史の講釈を賜ったが、ささらほうさら、眉に唾つけた方が良いかも知れん。

信州では、支離滅裂でいい加減なことを「ささらほうさら」と言う。
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by yabukogi | 2010-10-08 11:55 | 湯けむりのこと