カテゴリ:喰い物のこと( 70 )


2012年 05月 04日

牛筋男、悶絶の休日

世の中が連休に沸き立っている。
しかしその男の手帳に、連休の二文字は無い。
小間切れの休みだけが、いくつか通り過ぎてゆく。


c0220374_8352085.jpg

牛すじ肉を買ってきた。
もちろん国産・信州牛である。
炊くのだ。


c0220374_8353240.jpg

たっぷりの湯を沸かす。ぐらぐらと。
そこへ牛すじ肉を、ぼんっと放り込む。
下茹でである。
こうして灰汁と血の臭みを抜く。

c0220374_83618.jpg

再沸騰したら、それでいい。
流水でさらし、素材を洗う。



c0220374_8362235.jpg

ひと口に切る。
繊維を断ち切るように、それでいてこりこりした食感も少しは残したい。


最初は強火で炊く。
ふたはしない。
すじ肉の中に残された灰汁を、出し切る。

灰汁が出なくなるまで、小一時間。
付きっきりで灰汁を取り、湯を足す。


c0220374_8364379.jpg

灰汁が出なくなってから、砂糖と酒を加える。
酒は料理酒ではなくて、日本酒。
嫁とばあ様には喰わせる気がない、だから日本酒。


このあと、火を止めて、冷ましてから味噌を溶く。
できることならその後、数時間を放置する。

どこまで真実は知らぬが、味噌に潜む菌が
肉の繊維の奥まで入り込む。
そこでいくつかの作用をやらかす。
その時に蛋白質の組成が分解されて、すじ肉が柔らかくなる。

そして、濃厚なこくと旨味を、まとう。



ふたを開けると、白く脂が浮かんでいる。
冷ましたために固まったのだ。
この塊をいくつか捨てて、醤油、追加の味噌、砂糖などを。

ここはお好みで、甘くしっかり照りのある味わいにするか、
辛めでべたつかない男の肴に仕上げるか... で変わるだろう。
大切なことは、醤油なり味噌なり、
塩分のきつい調味料を一度に加えぬことだ。
せっかく柔らかくなりかかったすじ肉が、固くなってしまう。

生姜を入れる、
いや、盛りつけ後に行者大蒜(ギョウジャニンニク)のおひたしを添える、
あるいは牛蒡やこんにゃくを一緒に炊く、など、それぞれである。
僕は素直に牛筋の味わいを求めた。
このとき、オイスターソースの隠し味を、欠かせない。


c0220374_8371038.jpg

牛蒡と炊いても良かったなあ...そうひとりごちたが
庭に張ったエスパースの中、
あぐらをかいて酒を酌み、肴にしよう。
(注釈:4月末からエスパースを張って、寝ている。
 布団を与えられていないので普段からリッジレストにシュラフなのだ、
 寝床が板の間から芝生に変わっただけなんだ)




しかし、あるじが出てきて、しゃあぁ!と言う。
俺の縄張りだ、出て行け、ということか。
c0220374_8372962.jpg


その男、居場所が無い。
[PR]

by yabukogi | 2012-05-04 08:39 | 喰い物のこと
2012年 04月 28日

もつ炊き男


その男、もつを炊く。


c0220374_14321692.jpg

思い出したように鶏レバーを買い求め、水にさらして血と臭みを抜き、静かにことこと炊いて好みに味付け、酒を酌む。こころ穏やかなること、うららかな春風が穂高の奥又白の、池の水面(みなも)を撫でるがごとくである。



レバーは、1時間ほど流水にさらす。水道水が冷たい信州松本だからこそ、できることかもしれない。
つぎに60秒だけ茹でる。茹でて流水にまたさらし、あら熱を取り去って三つに切る。中はレアである。そこに血の塊を見つけたら、丁寧にほじくり除く。ハツは脂を捨て断ち割って血の塊をよく洗い流す。これで臭みは、どこにも無い。


c0220374_14323172.jpg

煮切った醤油と酒、みりんの鍋に、下ごしらえの済んだもつを投じる。
ことこと、またこころ静かに十分間だけ、炊く。


c0220374_14324444.jpg

隣のガス台ではフライパンにたっぷりのごま油を流し、ニンニクを煎る。
焼き色がついて火が通ったら、もつの鍋に混ぜてしまおう。ここで胃袋が、ぎゅううと鳴る。そのときは冷や酒をなみなみと汲む。



余談だが、家では珈琲でも茶でもウイスキーでも、いつも同じチタンのマグで呑む。すすぐぐらいで洗うことも無い。だが、日本酒をチタンのマグに注いで唇を当てると、なぜか酒が酸っぱく感じられる。なぜかは知らない。知らないがいつも感じることなので、日本酒だけは大振りの蕎麦猪口に汲む。


c0220374_1433864.jpg

冷や酒をきゅううと呷る間、ガスの火を強めておく。鍋が吹き上がるぐらいに。この一煮立ちだけで鍋をおろす。あとは1時間ほど、味が染みるのを待つ。炊き過ぎると、もつは堅くなって味わいに欠ける。いやらしいまでに照りを出して煮詰めることもあるけれど、今日はさっと炊いた。



味が染みる間、手持ち無沙汰と言うか、口寂しい。僕は何年も前に大好きだった煙草を止めてしまったので、また口ずさむ歌も知らないので、余計に寂しい。だから冷やで、もう二、三杯。
[PR]

by yabukogi | 2012-04-28 14:35 | 喰い物のこと
2012年 04月 14日

酢を喰らえ。酸を吐け。

その男、酸性である。

そもそもアルカリ性の男、というのは、いかがなものか。
男は黙って酢を喰らい、酸を吐くのだ。
だから鰯(いわし)は南蛮漬け。
つまりは、マリネだ。


南蛮漬けの由来は、知らぬ。
なんでも大航海時代の南蛮船とやらに乗ってくるスペイン、ポルトガル人が伝えたという揚げ料理、あるいはビネガーとスパイスを効かせた調理のことだそうだが。
蕎麦屋で鴨南蛮というものもあるが、これはネギという香草をあしらった名残か。


とにかく、魚屋に背黒鰯(あるいはカタクチイワシ)のいいのが売られていた。
信州では珍しいことかもしれない。
とにかく数パック買い込んで、梅で煮付けたりあれこれ愉しもうと帰宅する。

 はっ!
 南蛮漬け。


そうだ、粉をまぶして揚げ、甘酢のタレにマリネして骨まで喰らってやろうではないか。
梅干しと醤油で煮付ける計画は反古にして、揚げることにした。じゅわー、からから。

c0220374_22302239.jpg

からりと揚がったところで、塩を振って味見する。


c0220374_22305439.jpg

 うぉお。美味である。


このままでは全量を塩味で平らげてしまいそうなので、あわてて酢にくぐらせる。
酢と言っても、酢の半分は酒と味醂と合わせて煮切ったうえで月桂樹の葉と揚げニンニクを投じ、香り付けしてある。
出汁も加え、隠し味にコンソメを少量溶かしておく。
半分の酢は薄く砂糖を混ぜて、香りの汁と合わせる。
ここへ、揚げたてのジュウジュウ言うやつをくぐらせるのだ。
くぐらせて、漬け込むのだ。

c0220374_22314728.jpg

もちろん、千切りにした人参と玉葱も。



本来ならばひと晩を休ませてやりたいが、腹が鳴ってしまってしょうがない。
二尾ばかり盛ってまた、味見する。
c0220374_22312047.jpg


酢の効き加減が浅いが美味い。
フレッシュな感じが、たまらん。
明日が楽しみである。




翌朝の食卓に、いただく。
あぁ、しあわせである。
c0220374_22323950.jpg

これでしばらくは、強い酸を吐くことができるだろう。
[PR]

by yabukogi | 2012-04-14 22:34 | 喰い物のこと
2012年 03月 21日

いまでも愛してる、イイダヤ軒


信州松本の城下町に、何日か雪が降り積もった日々のこと。
僕はまた、『イイダヤ軒』のカウンターに座っていた。

c0220374_2082194.jpg

去年、松本駅前にある蕎麦屋の『イイダヤ軒』のことを取り上げ、僕は愛している、と書いた。その理由は、蕎麦なのに豚骨ラーメンの「替え玉」みたいに、麺のお替わりができることに少なからぬ感動と喜びを覚えたからだ。くわえて、麺のお替わりをした僕のどんぶりに、出汁(つゆ)をレードルにそっと一杯、注いでくれたおばちゃんのやさしさに、たましいが震えたからだ。



とおい昔。僕は大学生で、親からの仕送りがなかったからバイトの掛け持ちをしていた。それでも入ってくるバイト代は、酒と本と山道具と、そして山に向う中央線きっぷ代のために消えていった。だからいつも、腹ぺこだったのだ。そんな日々、講義をさぼってバイトに向う途中の朝飯は、いつも駅の立ち食いそばだった。そして、麺のすべてをすすりこんでしまう瞬間が残念でならず、つゆを飲み干しても満たされないおのれの胃袋の虚ろさが、ただ呪わしかったのだ。つまり、いつも腹ぺこでもっともっと食べたかったわけだ。



いまとなっても蕎麦だけは、いや正確には豚骨ラーメンと蕎麦だけは、麺をダブルかトリプルで楽しみたい。そんな僕の願いがジャストにしてパーフェクトに叶えられる駅前蕎麦が、この『イイダヤ軒』だったという訳だ。



前置きが長くなってしまっているけれど、去年の僕は、天ぷら蕎麦を頼んだ。そして「天ぷら蕎麦を頼むんじゃなくて『かき揚げ蕎麦』になさるといい。きっとびっくりなさるから」とも書いた。なのに、かき揚げ蕎麦のその後という話を一向にお伝えしていないことが、心苦しい。こうした背景が、本稿のかき揚げ蕎麦のことにつながってくる。








雪が降りしきる中を、僕は松本駅前に立っていた。

そして東京に帰る客人を無事に見送った安堵感からか、腹がぐぅと鳴った。目の前にはさっきから何度も書いている『イイダヤ軒』がある。この時の僕に、他の選択肢があろうか。



 がらっ。

 かき揚げ蕎麦を。
 (と言ってお代を置く)

 はい、おまちどうさん。
 (とどんぶりが置かれる)


 うふわっ。
 でけえずら、まぁず。

c0220374_2073341.jpg






ねぎも。

c0220374_2074997.jpg





さすがに麺のお替わりは、必要なかった。

いまでも愛してる。イイダヤ軒。
[PR]

by yabukogi | 2012-03-21 20:13 | 喰い物のこと
2012年 01月 02日

うどんに降りしは御鶏様なのだ

うどんを、極めた。


屋外において、ミニトランギアの鍋とトランギアのアルコールストーブでうどんを調理し、食す。このシンプルにして奥の深いテーマに取り組み、ついに極めたのだ。


伏線は、大晦日にあった。
c0220374_1574294.jpg

キッチンで、僕は御鶏様を焼いていた。御鶏様というのは、放置民のひとたちの食鳥の儀式で供えられる神聖な食べ物で、ご神体と言っても差し支えないものなのだ。この御鶏様についてはバドさんの記事に詳しい。また、ミニトランギアで御鶏様を焼くという手順などはワンダさんの記事に譲る。


とにかく、大晦日から僕は御鶏様を焼いていた。正しく書くと、焼き続けていた。


蕎麦を茹で上げる間のつまみぐらいの軽い気持ちで焼きはじめた事が、天罰を呼んだのであろう。最初の御鶏様は長男坊の胃袋に収まった。肉などなかなか食べない大豆男が、欲しいと言ってかっさらっていったのだ。続けて、家人や婆さまに持って行かれ、なかなか僕の口に回って来ない。何度もミニトランギアのフライパンで焼く羽目になり、信仰とか修行というものの厳しさを実感したり。とにかく、明けて元日にまで御鶏様をお供えする。


c0220374_1583519.jpg

ミニトラのパンではラチがあかない、と普通のフライパンでも。(この時は皮の焼きが足りていない)





二日の早朝。僕は裏山のてっぺんのお地蔵さんの脇に座り込んで、トランギアのアルコールストーブに火を灯し、寒さに震えながらうどんを作っていた。かつおベースの出汁に飽きはじめていたので、あご(トビウオの干物)出汁プラス昆布出汁、そして決め手は中華で使う粉末の「丸鶏がらスープ」。これらを薄めに仕立てる。ここへ解凍してある加ト吉の讃岐うどんが入り、トッピングが乗る。


肝心なのは、トッピングの最も重要なアイテムが御鶏様だったということだ。

c0220374_14565959.jpg



寒風に冷えきってしまっているが、あくまでも香ばしく、皮はぱりぱり。味付けは塩こしょうのみ。これをうどんつゆに浸し、噛む。溢れる肉汁がうどんつゆの加減と奏で合い響き合う。僕は、絶句する。

こ、これは...。
もはやうどんにしてうどんにあらず。
人の世の、地上の食べ物ではない。
天人天女たちが新年をことほぐ饗宴に供せられた聖麺。

こう書けば控えめであろうか。



幻眩にも似た感動に打ち震えながら、僕はミニトラの鍋を干した。小雪が舞う。鉢伏山方面のまだら雲が輝き、旭日があらわれる。薄暗かった山頂に、神々しい朝の光が届く。

何もかもが神話の世界で行われた秘事であったようにも感じられ、僕は物音を立てぬよう鍋を拭いパンを清め、装備を背に、無言で家路に着いた。
[PR]

by yabukogi | 2012-01-02 15:37 | 喰い物のこと
2011年 12月 28日

魂こがして、2011。

やはり叱責を、受けてしまったのだ。


調子こいて華麗なるカレーうどんへの挑戦をここに書いたら、虎影流うどん術の師匠・にゃんこ先生から。

 ならぬ。うどんは和に限る。
 わしもかつては、うどんに欧州の味を試みた。
 これは、よこしまである。




つまり、かつてにゃんこ先生もフレンチでシチュー仕立て、あるいはイタリアンでトマトスープ仕立てのうどんに、挑戦なされた。しかしこれらは真のうどん道の道を外す、いわば「邪剣」であると看破なさったわけだ。太刀に妖気を宿し敵を惑わせば是即ち技なり、そう考え始めていた僕への、大喝である。


僕は破門となるところを、首の皮一枚でつながったのか...。
僕のうどん道はどこへ向うのだろう? 
師よ、お導きください。




師の言葉を待てず、僕は裏山へと向った。


うどんの道は、ひとの道。
仁ありて麺あり、麺ありて義あり。
麺在りて、人在り。


探求の道は、麺のように長く険しい。



ミニトランギアを、トランギアのアルコールストーブに載せる。麺は、そのへんのひと袋28円の普通麺ではない。加ト吉ブランドで知られるテーブルマーク株式会社の【さぬきうどん】、これに尽きる。冷凍ではあるが、腰が強く美味いのだ。これをひとつフリーザから持ち出し、解凍しておく。融けていた奴が、冬の信州の里山では、また凍る。トランギアの蒼い炎と、ミニトラのアルミの輝きが、熱くこれを再び融かし、煮上げる。魂、こがすように。



師よ。やはり、うどんに異国の味わいを加えてはならないのですか? 
1976年6月26日、かのモハメド・アリとアントニオ猪木は「格闘技世界一決定戦」の一環として、武道館に忘れ得ぬ死闘を繰り広げたではありませんか! 

c0220374_1558257.jpg

丸美屋の【麻婆豆腐の素・中辛】よ、そのひと袋の半分よ、讃岐うどんにアリキックを見舞え! 3分間15ラウンドの始まりを告げるゴングよ、鳴り響くがいい。伝説の第一章、その最初の一文字を、刻むがいい!


一方で脳内に、ARB・KEITHのドラムが響く。そのイントロに続いて絞り出すような石橋凌のヴォイス。スポォット、ラァイトが... 



ぐつぐつと、煮え上がる。
魂こがして。こころ、燃やして。
麻婆が香る。
とろみパウダーは加えない。


c0220374_16010100.jpg

茹で野菜、投入。ほうれん草、そしてニラ。
生卵、投入。
白ごま、投入。
青ネギ。乾燥ではなく、その場で刻んだ青ネギ、投入。

仕上げに、自作の辣油、投入。
魂こがして。こころ、燃やして。
魂こがして。こころ、燃やして。





師よ。
麻婆、シノワの味わいでは、わざ、成らず、とおっしゃいますでしょうか。
師よ、お導きを!
[PR]

by yabukogi | 2011-12-28 16:10 | 喰い物のこと
2011年 12月 06日

モツ煮マイライフ

写真を整理していたら、ちょうど一年前にモツを煮ている様子の記録があった。2010年12月3日のことである。



きっと、安酒に熱めの燗をつけて飲みたかったのだろう。茹で白モツを買ってきて、念のために二度茹でこぼしてから牛蒡と一緒に味噌で炊込んでいる。生モツに手を出さなかったのは、その男のふるい記憶に刻み込まれた悪夢のような体験があったのに相違ない。きっと、下拵えでやる生モツの「洗い」が足りなくて、腸の中身が放つ猛臭極臭地獄臭に巻かれて、のたうち回ったのだろう。だから一年前のこの白モツは、茹でモツから調理されている。


c0220374_16212092.jpg

茹でモツと言えども、腸壁の襞(ひだ)に残された内容物は臭みを放つものだ。あの悪夢が再現されることはあるまいが、念のために茹でこぼしておこう。たっぷりの湯でぐらぐらに煮立て、恐ろしいほどの灰汁を吹き上げながら茹で、ザルに空ける。これを流水にさらす。しかも二度繰り返す。


c0220374_16214134.jpg

さらしたのち、しっかり水気を切る。布巾で絞り上げ、さらにペーパーで包んで。これをネギと生姜とともに、純米料理酒五合を使って炊く。ことこと、出来上がるまで二時間ぐらいは炊く。灰汁はぜんぶ掬う。出なくなるまで掬う。灰汁が出なくなると手持ち無沙汰になるから、湯呑みに冷や酒を汲んで舐めながら炊く。でも熱燗は、モツが炊き上がるまで辛抱する。


c0220374_16215880.jpg

その間に、厚めの斜め小口切りにした牛蒡の灰汁抜きを行う。抜き過ぎるといけない。ざっとえぐ味がうすれたところでいい。


c0220374_16223396.jpg

頃合いを見て、モツの鍋に粉末の鶏ガラスープを投じる。牛蒡も投じる。砂糖も投じる。味加減は好みで変わる。銀杏に切った大根と人参も入れよう。このあともぐらぐらと踊らせず、静かに炊く。


c0220374_16225755.jpg

蒟蒻(こんにゃく)を忘れていた。手で千切っていちど茹ででから加える。味噌も加える。ただし味噌の全部を加えてはいけない。半分だけにする。残りは炊き上がってから、汁に溶く。あぁ、はやく食べたい。冷や酒で冷えきった胃の腑に、熱いのをすっと流し込みたい。


蒟蒻を加えて一時間ほど過ぎただろうか。もうやわらかい。臭みなど、どこにもない。残りの味噌を溶いて、器に盛って、いただく。まだ昼だというのに、これまでの冷や酒で、だいぶ出来上がっている。


c0220374_1623173.jpg


こうして一年前に、白モツはモツ煮に変じた。たいそう美味かったことだけを覚えている。困ったことに、今宵これがない。しょうがないから烏賊でも、炙る。
[PR]

by yabukogi | 2011-12-06 16:25 | 喰い物のこと
2011年 09月 25日

地熱で蒸しあげた鶏卵の美味さよ

温泉場で風呂番をして居る青年が、僕を呼ぶ。

「いまさん、これ喰ってみろや」


手にすると熱い玉子。温泉卵であろう、そう期待して殻を割ると、予想だにしない煮染め色があらわれる。その魅惑的なまでの照りの誘惑に、僕はあわててかぶりつく。



こ、これは!

口いっぱいに広がるのは、地熱の持つちからそのままをまとった香ばしさ。



c0220374_12295487.jpg


蒸気噴く熱砂に二昼夜を眠った鶏卵は、言葉にあらわせぬぐらい、美味い。






秋空を見上げ、くたびれた旅がらすにも、ふと里ごころ。
[PR]

by yabukogi | 2011-09-25 12:30 | 喰い物のこと
2011年 06月 05日

豚骨の歌を聴け


ある日。


主夫である僕は、いつものように買い物。
初夏の訪れに伴って、そうめんを在庫しておこうと乾麺売り場を覗き、そこで奇妙なものを見つけた。

c0220374_16541250.jpg

永谷園の『そうらーめん』、そうめんの喉越しでラーメンの味わいだという。いささかネーミングに無理があるのではないか。いや、こんにちの生活者はこういう判りやすいネーミングを好むのだろうか....。


僕がこのパッケージを前に思い巡らせていたこと。
それはこの麺が備えた細さ、ストレートさ、そしてそうめんライクというからにはある程度の「なめらかさ」を期待していいのではないかということだった。

この三つの特徴は、麺として備えるべき基本的な性質、すっきり言い切ってしまえばラーメンはこうでなくてはならない、ということだ。一方では、世の中には「多様性」という考え方もあって、ラーメンの麺が太かったり縮れていたり、するそうだ。あるいは、ラーメンのスープに醤油や味噌が混入することもあるという....。こうした食品は、ラーメンではないのではないか? などという偏狭な主張はするまい。文字通り多様性が認められてしかるべきだろう。しかし、ここはとても個人的なことなのだけれど、僕は朝の目覚めにウイスキーを呷る習慣が無いのと同じく、縮れた麺や太い麺の、あるいは味噌や醤油が混入されたスープのラーメンを食する習慣が無い。

簡潔に書けば、僕は切羽詰まった事情がある場合を除いて、ラーメンといえば豚骨で、つまりは細麺ストレートなのだ。切羽詰まった事情とは、ほかに選択肢が無い場合を指すが、具体的なことは本稿から逸脱するのでここでは省く。

いや。わかりにくい。
僕は少年時代のある重要な時期を九州の地で過ごしたために、ラーメンといえば豚骨で、これ以外のラーメンは僕にとってラーメンではなく、他のカテゴリの食品に定義されているということなのだ。



このように整理して行くとシンプルなもので、僕は山を歩いたり大地に眠るのと同じように、豚骨のラーメンを愛する。したがって麺は細く、ストレートで、かつ滑らかでなくてはならない。ここで異論のある方も、おられよう。いわく、麺に滑らかさを求めるのは、邪道ではないか。いわく、滑らかさを至上とする麺食の文化が会津地方、あるいは北海道に旭川系、札幌系として存在することは認めるが、おなじ価値観を正しきラーメン、豚骨ラーメンに持ち込むことは、豚骨文化への冒涜ではないか?

この点については、僕も正直、論破する自信に欠ける。ラーメンの麺に過剰な滑らかさを追求すると
(1)スープとの絡みが悪くなる
(2)小麦本来の小麦らしさが失われるきらいがある
という指摘も正鵠を射たものだろう。一部の食麺のかたちでは、麺を「縮らせる」ことでスープと呼ばれる汁との絡みを良くしているときく。また、滑らかさを求めるプロセスに於いて用いられる「かんすい」というアルカリ性の食品添加物が麺を黄色く仕上げ、いわゆる中華麺的な彩りで視覚的な訴求を担うそうだ。一方の正しき麺は、かんすいの使用を抑え、小麦本来の噛みごたえや味わいを残すのだと、いまは亡き一龍軒あるじ殿に教わった。


やや瑣末事に偏ったが、要するに豚骨ラーメンという正しきラーメンにおいては、麺の滑らかさは二の次である、ということがこんにちの「正統」なのかもしれない。しかし僕は異端という烙印を恐れず、この永谷園の『そうらーめん』を正しいラーメンの食べ方という土俵の上で、検証してみることにしたのだ。


c0220374_17262712.jpg


最初にこれだけの食材を用意した。

このあたりはミニマムなセットで、真の正統のメンバーからは厳しい突っ込みがあるだろう。まず、もっとも重要な点は、紅ショウガが欠落していること。これは「トップバリュ」からリリースされている国産・無添加の良い品があるにもかかわらず、在庫を切らしてしまっていた。猛省すべきである。

次に、キクラゲがホールのものである。細切りでないことが悔やまれてならない。また、青ネギの分量がいただけない。少なくともこの三倍は刻み込み、豪快にどんぶりを覆うべきであろう。

中央の皿には、自家製味付け炙りチキンとプリマハムのしっとり焼豚、茹でモヤシ味付けなどが積載されている。小さな片口はレンジで仕立てたとろとろのポーチドエッグ。オレンジ色の「国産たまねぎスープ」の小袋が見られるが、これはスープの補強用。



麺は確かに細い。そうめんライクではある。しかし茹でている際に立ち昇る香りは、まぎれもなく中華系、つまりかんすいを一定使用したやや黄色の滑らかな麺である。これは丁寧に湯切りをしなければなるまい。誤解を避けるために書いておくと、次の3点の作業のみを残して、麺茹でに取りかかる。一、スープを湯に溶く作業。一、青ネギを刻む作業。一、盛り付け。他の具材や薬味は完全に用意され、かつどんぶりの傍らにスタンバって居るのである。


さて。
これだけ細いと、麺の茹で上がりは、早い。追いかけっこである。麺を湯に投入して後、マシンのような正確さでネギを刻む。青ネギは、絶対に刻みたてでなくてはならないのだ。次の瞬間、沸騰した湯でスープが溶かれる。その次には、茹で湯から麺を何本か齧り、「粉落とし」「ハリガネ」「バリカタ」とやり過ごす。ここだ。この瞬間。そう、「ややかた」である。ザルに、一気に空ける。次の瞬間、ザルを突き降ろすようにフォールさせる。ロープはスタティックだ。伸びは無い。ランナーも抜けない。墜落したクライマーが何度も衝撃荷重に苛まれるが如く、虚空に突き落とされ、ロープは引き絞られ、ハーネスが喰い込む。クライマーであれば、どんな強靭な肉体でも意識を失っているであろう過酷な衝撃を加え、湯切りが終わる。


仕事はまだ終わらない。
麺に、具材を載せる。白コショウを降る。コショウは絶対に白だ。テーブルに運ぶ。撮影に、3秒だけを許した。ギリギリの許容範囲。マニュアルだったことが悔やまれたが、僕はオートの使い方を知らないのだ。

c0220374_17442252.jpg



はぁあうぅ!

ほんなこつ、うかまばい!




充分に乳化した豚骨スープは、しっかりと麺を捉え、絡み、一体となって僕の口に飛び込んで来た。滑らかさを畏れることは、無用のことだったのだ。
[PR]

by yabukogi | 2011-06-05 17:52 | 喰い物のこと
2011年 05月 26日

稲核菜始末記



昨年、初冬に稲核菜という信州の伝統野菜を漬け込んだ


これが大好きだという或る御仁に差し上げたところ、それはそれは鼻息を荒くなさる程にお喜びあそばされて、そのうえ勿体無いことにお褒めまで頂いてしまった。その後も折りに触れ「稲核菜は美味である」とか「稲核菜ならば飯が蓼科盛りである」とか、家々の米びつが小さくなってしまうようなことまでお書きになる。


それらを読まれたらしい別なあるお方から、「お前は稲核菜を売っているのか?」とお問合せがあった。


いや僕は食品製造販売の免許を持っていないので、友人にプレゼントしたのだ、とお答えしたのだが、「俺にも寄越せ」とおっしゃる。丁重にお断りしたのだが、その理由は、もう在庫が無いからなのである。


在庫が無いと一方的に書くだけではナントカ隠しにも似ていけないので、稲核菜の漬け物樽が底を尽き、おしまいの幾株かになったものが台所に運ばれてどのような運命をたどったか、書いておく。


c0220374_10345251.jpg

わずかに残った稲核菜の漬け物。塩抜きはせず、絞るだけに留めた。


c0220374_10354195.jpg

数日分を残しておこう。


c0220374_10361057.jpg

蕪もこれだけ。この味わいを工場長さんは「北アルプスに降る粉雪のようだ」と言う風に例えられた。



乳酸菌が働いて、味わいとしては「すっぱいぞこれは!」というテイストをまとった稲核菜は、こうしてやる。
c0220374_1037671.jpg

油を敷いた鍋に投じてとにかく強火で。



c0220374_10385171.jpg

味付けは、黒砂糖と醤油。



c0220374_10383376.jpg

こんな風にテリが出て来る。

信州では、野沢菜も同じくだが、古漬けになって酸っぱくなると、このようにすることが多い。しかし発酵食品というものは凄いもので、腐敗もせずにこうして保存が効くのだ。先人の知恵というものは、大したものである。

真夏に種を蒔いて、北アのお山がまっ白に装う頃、刈り取って漬ける。来期もたっぷり味わって、一年後の雪解けの頃に、同じように油で炒めるのだ。そしてここに、売り切れです、と書くのだろうか。





c0220374_1041985.jpg

僕は夏のビーチでもないと、ビアを飲まない。んが、この日だけは縁側で、稲核菜を肴にごくごく飲ってみた。


美味くてもだえ死ぬかと思った。
[PR]

by yabukogi | 2011-05-26 10:49 | 喰い物のこと