本日から数日間、わたしにも休暇という、天からの授かりもの。
わたしは、火を焚きました。
わたしは数日前、山尾省三さんの詩を引用して
火を焚くことができれば それでもう人間なんだ
ということばを紹介しました。
休暇の初日に、わたしは火を焚く必要がありました。仕事に追われてきたこの身と魂を、炎で清める必要があったからです。あばらが折れていなければ、高い山へ出かけて大地を褥(しとね)に眠り、岩のひんやりした手触りや白き雪肌に反射する陽光から、清めてもらうこともできたのでしょうが....。
兎にも角にも、清めてもらうために火を焚きました。
無目的な火を焚いて、揺れる炎を無言で眺める時間、それが人を人たらしめる時間なのでしょう。もしかしたら焚き火には、生産的な目的があってはならないのかもしれません。
わたしには、火を焚く目的がありました。心身の清め以外にも、腹を満たす必要があったのです。
背黒いわしの干物は。、2割引でした。
ボウルのどどめ色の気色悪いものは、地鶏のレバーです。
タレに漬けておいたためか、味わい深く、香ばしく焼き上がりそうです。
もちろん、ふっくらとジューシーな味わいであったことをお知らせしなければなりません。
先日も書きましたように、炎と同じ作用で、喉を墜ちて行く熱からも清めていただきました。手前は、炎を沈めるための泡であります。
お休みの方にも、お仕事の方にも、穏やかでやすらかな、忘れ得ぬ五月の始まりという日々が訪れますよう、信州の片隅からお祈り申し上げます。