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その男、薮の彼方に消ゆ

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2011年 06月 08日

安曇野・天満沢遡行(2011/06/07)

初夏の一日、安曇野に落ちる小さな沢に、ひとり遊ぶ。

朝09時。こどもたちを送り出して台所を片付け、のんびりと出発。松本の自宅から安曇野の田園をカブでトコトコ走り、やがて別荘地の奥の林道に潜り込む。砂防ダムの傍らの薮にカブの車体を突っ込んだのは10時すこし前で、空は靄(もや)がある晴天。流れに沿った小路は新緑の天井に覆われていた。



穂高・有明の高原を流れる、小さな沢がある。(※過去に穂高・牧と書いたが、地元の方からご指摘頂いた。感謝)天満沢(てんまざわ、または、てまさわ)といって、2万5000分の一地形図には名前の記載が無い1904.4峰というピークから流れ出ている。また天満沢川という沢の名前より、その近くにある蕎麦屋の名が知られている、そんな沢である。地形図では両岸にゲジゲジマークが延々と続き、崖の印は10mごとの主曲線5-6本を跨いでいる。つまり絶壁に挟まれた明らかな廊下状を成していることが伺える。この山域の基盤岩は花崗岩、それも奥又白から燕、唐沢岳幕岩までつながる巨大岩体の有明山花崗岩。するとこの谷は、この花崗岩が滑らかに磨かれて成すゴルジュやナメが続いているではないか、と予感させてくれるに充分である。イメージするのは黒部の谷のミニチュアである。



見たい。磨かれた花崗岩のゴルジュ。試しにぐぐる。しかし、まったく何も出て来ない。遡行記録をどうしても見つけられない。登る楽しみ、醍醐味も無い平凡な流れなのか...。

それでもいい。

冒険心はしまっておいて、緑したたる谷を、森の底を歩く一日があってもいいだろう。



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林道はさらにいくつかの砂防ダムの傍らを過ぎ、10時15分、ある地点で消失していた。その先は、岩屑と倒木をぶちまけたような河原の風景が広がる。うつくしい緑と明るい空がなければ、寂寥感にむせび泣きたくなるような場所だ。その先には巨大な砂防堰堤が2段。写真中央奥に見える小ピーク左側に、天満沢川本流の流れがある。まずは堰堤の脇を攀じ登りながら進む。実はここで最初のミスを犯していた。本流の水線にこだわって堰堤を巻くのではなく、写真右側あたりに落ちて来る小さな尾根を辿ってはるか高巻きすれば、苦しむことはなかったのだが...。



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10時25分、天満沢川本流に進む。凄い岩屑の量だ。これは上流部で現在も崩落が続き、岩屑が生産されていることを示している。山は、大地は生きているのだ。



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連瀑。頭上を見上げるまでもなく、いきなりの熱い歓迎だった。

そこは、流れは50度ぐらいの斜度を持ったノド状の連続する滝となっていた。いくつものチョックストーンを噛ませてどうどうと轟いている。10時30分、はじめは左側にルートを探すが無理。いったん退却し今度は右側を探る。ホールドは豊富で順調に登って来たかに思えた。が、浮き石を抱いてしまったり、無理。水圧も凄い。動きかけた石を元の位置まで胸で押し込み、退却。


地形図を眺めると、連瀑下のすぐ右側に落ちている支沢がある。こいつを詰めれば連瀑帯の上に出られるじゃないか。そこで退却と見せかけて裏から回る、10時59分の鵯越(ひよどりごえ)作戦である。九郎判官義経は困難な険路を行ったが、僕は容易な支沢をゆく。この違いが人物の違いである。



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支沢を150mほど、こちらは檜の樹林帯のささやかな流れを辿ると、頭上に鉄製の橋が架かっていた。送電線の巡視路だろう。帰りにはこいつを使わせてもらうことにして、左手の切通し状の地形を抜けると、連瀑帯の上に出たことになる。そこにはギョリンソウの群落の中に仕事道とおぼしき踏み跡があり、天満沢川本谷には穏やかな流れがあった。



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11時15分、ほどなく仕事道は途絶え、ふたたび水線を行く。



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大きな岩塊を乗り越えたり、ときには腰ぐらいまでのトロもある。



小さな滝が見えてきた。
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淵を泳ぎ、なだらかな滝は真ん中を登る。

この時期を選んで来たことには理由があって、まずこの沢は稜線の大天井や横通岳付近から流れ出るものではないから初夏には雪代が、もう入って来ない。水温は高めで、冷えるけれど雪解け水の凍える冷たさではないのだ。もう一点、夏の盛りになると増える、苔なのか藻なのか、岩のぬるぬるした植物が増える前を選んだ。足元は普通のスニーカーみたいなローカットシューズなのだけれど、グリップは効いていた。花崗岩のフリクションをしっかり捉えて、スリッピーな場面は皆無だった。



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小さな滝がいくつか続く。どれも真ん中を突破できるような穏やかなやつで、遡行を阻むものは無かった。


11時40分。地形図に1055mの標高点が打ってある合流点に着く。1:2で左から枝沢が入ってくる。ここで休憩することにして、湯を沸かす。

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磨かれた花崗岩のゴルジュなんて、なかったのだ。あれは僕が地形図から勝手に妄想したまぼろしで、赤く風化してザレた急斜面の間を、穏やかな流れが細々と続いているだけなのだ。けれどもそれは決して単調でも退屈でもなくて、新緑の天蓋の下にやさしい時間が流れる、愛すべき谷なのだと思った。湯が沸く。インスタントの珈琲を溶かし、味わう。水音が響くだけで鳥の声も聞こえない。



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1055点から上では倒木が一層多くなって来る。跨ぎながら、このままどこまで登れるか考えはじめていた。



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前方で谷が行き止まりになっている。遡行ルートも北に約90度、折れている地点に着いたようだ。



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そこは滝になっていた。12時15分。傾斜は60度ぐらいだろう。観察すると右の細流脇と、少し離れた右端にラインが取れそうだ。細流の脇を選ぶ。もろいながらもホールドは豊富で、落ち口が見える辺りまで、写真の中央やや上ぐらいまで様子を観る。するとその先がいけない。ガレを攀じ登ってるような感じで危なっかしい。しかも滝はもっと上の方から落ちて来るじゃないか。

ここで前進を諦め、右端のラインを試すこともせずに、退却を決める。やはり巻かなきゃ、無理だったのだ。ここで手間取った分、巻いてさらに進むには、時刻もやや遅い。

そう決めてしまえば、あとは来た道を帰るだけ。尾根に上がって、と考えるほど悪い場所も無い。初っぱなの連瀑帯は送電線巡視路で降りれば良いと判っていたから、そのまま流れの中をじゃぶじゃぶと下った。





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帰路、苔むした倒木の上に、一頭の猿が、しろいされこうべになっていた。

自分の行く末を、そのまま目の当たりにしたような気持ちだった。けれどけっして嫌な感覚ではない。こんな清浄な谷の片隅になら、人知れず眠り続けることがしあわせなようにも、思えたのだ。










※連瀑を避けるならば送電線の巡視路へ。冒頭の写真、堰堤が二つ見える地点の右手の尾根に、微かな踏み後のような道がある。

by yabukogi | 2011-06-08 09:44 | 北ア・前衛の山々


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