その男、薮の彼方に消ゆ

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2011年 02月 09日

白きたおやかな豚骨

そこには、軽い気持ちで立ち寄ってはいけなかったのだ。



2011年の、まだ早春というには早すぎる2月8日、たしか火曜日だったように覚えている。僕はちょっとした所用を午前中に済ませ、松本駅前の路地にたたずんでいた。ランチには少し早い。実は、この通りには豚骨屋がある。こう書くと違和感があって、実際にはその時、僕は豚骨やの真っ正面に居たのだ。


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何度も入ったことがあるし、おまけにここのラーメンは大好きなんだ。いや。これは少し正確じゃない。僕はここのラーメンしか、食べない。もっとも、いつもは浅間温泉に近い本店の方に行くのだけれど。とにかくランチには少し早い時刻、松本駅前の繁華街の豚骨屋の前に、僕は立ち尽くしていたんだ。



僕にとって、ランチというイベントは果てしなく重要であって、軽々に決めたり変えたりできることじゃない。いわば、山に行く、というおこないと似ている。山にでも行こうか... って山に入るひとは居ないだろう? そんな風に、前の日の晩飯、直前の朝飯、さらに今夜の晩飯の予定、こうした流れの中にきちんとポジショニングされなくちゃいけないんだ。だって、奥多摩に出かけた帰りに白馬の温泉に浸かって、っていう風には、東京のハイカーは考えない。ランチも同じで、ちゃんと前後のメニュー構成と密接に関わってくる。こんなことを書いてるけど、実際には、ある。今夜はカレーよ、って言われてたのに社員食堂でカレー食べちゃったり。



まわりくどくなって、済まないと思う。つまりはこうだ。僕は、僕にとってランチがとても大切なことで、計画的に何を何処でどう食べるか、納得のいくランチにしたい、と常々考えていることを伝えたかっただけなんだ。



じつはこの朝、家で豚骨ラーメンをつくって味わっていたんだ。






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この朝の豚骨は、山食でおなじみのマルタイから新パッケージで発売された【博多長浜とんこつラーメン・細麺仕上げ】という袋麺だ。朝からラーメンを食べるなんて奇妙に聞こえるかも知れないけれど、僕にとっては普通のことで、だれかに迷惑をかけてる訳じゃない。家族にはちゃんとご飯を炊いて魚を焼いたり玉子を焼いたり味噌汁を作ったり、きちんとした朝食を摂らせてると思ってる。そのうえで、朝飯に好きなものをチョイスしているということをわかって欲しい。

話がまどろっこしい。とにかく、朝に豚骨ラーメンを食べた僕が、わずか3時間後に豚骨屋の前に立ち尽くしていたんだ。困ったことになった。僕はすでに家で豚骨を食べている。晩飯は自家製干物の炙り焼きに決めていたから、後に響くようなことはない。けれど、朝と昼が響きあってしまったんだ、豚骨で。


ほんとうに困ったことになった。できればランチは、25メートル離れたところにあるマクドナルドで「アイダホ」と「マックポーク」にポテトを付けて... という感じにしたかった。カロリー摂取が過剰なようなら、家に戻って、蕎麦を茹でても良い。そんな選択肢がある状況で、豚骨屋の前で、額に脂汗を浮かべて悶々としていた。早く離れろよ。いや、ランチには早いから空いてるよ。いろんな声が聞こえる。世界がぐるぐる回り出して僕は気分が悪くなってきた。座る場所を求めて、僕はしかたなく木のドアを引き、身体を薄暗い店内にくぐらせ、小さな声で「ちわ」って言ったんだ。


若いお嬢さんがひとり、そう独りでカウンターに向い、ふはっふはっ、じゅるって音を立てていた。僕は静かにその近くに座り、出されたタンブラーの氷水をぎゅうっと呷ったんだ。脂汗が引いていく。乱れに乱れて太鼓を乱打していたようだった脈も落ち着いていた。

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危なかった、あのまま路上に居たら倒れていただろう。




やがて、味付け玉子を載せたどんぶりがやって来た。いや、こう書くと、ふと気が付いたら目の前に置かれていた、という印象を与えるかも知れない。真実は、こうだ。僕は座りながらも視界の隅で店員さんの動きを、リアルタイムに追って把握していた。麺をゆでる動作、湯切り、トッピング、どんぶりに両手を添える、台に置く、そこへもうひとりのスタッフが待ち構えていて僕のどんぶりを受け取り、カウンターを回って僕の方に... これを全部、モニターしていたんだ。お待ちっ!という声で目の前に置かれる瞬間まで、カウントダウンだって。本当さ。置かれて2秒後に写真を撮って、3秒後にはレンゲと箸をそれぞれ持って。まあ、いま思えば、写真なんか撮らなくても良かったのかも知れない。


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う...うまかぁ。
まっ白な、混じりけのないスープ。味噌も醤油も混ぜられていない、正しいスープ。


僕は、食べることに、こだわりがあり過ぎるのだろうか? 

自問する。もっと軽やかに、あまり思い詰めたり考え込んだりせずに、食べることをカジュアルに捉えられるようにするべきなんだ、きっと。そうしたら、食べること、味わうこと、腹を満たすこと、こうしたことからの呪縛から解き放たれ、自由な精神を勝ち取ることができるだろう。


でも、豚骨だけは、いつも真っ正面を向いて食べよう。ここのスープは、本物なのだ。素材から出た香り、旨味、エキス、炊き出された成分がクリームのように溶け合い奏で合う、尊いスープなのだ。きっと、まっ白なスープに向かい合う時、ひとはこころを白紙にして臨まなくてはならないのだ。こんなスープを満たしたどんぶりに向かい合うとき、やっぱりガチンコでいかなければ。そう、冬の滝谷に入るクライマーのように。


ここで1ピッチを区切る。


次のピッチの準備はできていた。最初のピッチの区切る以前に、カウンターに向けてコールしていたんだ。

「替え玉、普通で」

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コールはちゃんと届いていて、僕が最初のひと玉のピッチを終えた瞬間、「へぃ替え玉お待ちぃ」と続いていく。こうしたタイミングへの配慮が、次のピッチを滑らかに、そして気持ちよく始めさせてくれる。上にも書いたけれど、ガチンコで本チャンなんだ。まっ白な気持ちで、まっ白なスープと向かい合ってるんだ。だから、すみずみまで計算され尽くした緻密な行動、これが大切なんだ。


ここで僕は、思わずレンゲを落としそうになった。


今朝の、家で食した豚骨は、あの一杯は、ジムか、ゲレンデだったのだ。今日の昼の、この店のこの一杯という本チャンを一層楽しくしてくれる、一種のストレッチだったんだ。このことに気付かされたせいだろうか、箸とレンゲを持った僕のムーブはますます冴え渡り、ロープがきれいに流れるように、ストレートな麺もするすると流れる。



3ピッチめ。ここは核心部だ。まえのふたつで麺はクリアしている。プロテクションは気持ちよく取れて、気持ちよく登って来れた。核心部は「味付け玉子」。

丸呑みか? 
とろとろの黄身だけを吸ってしまうか? 僕はこの素晴らしいクラシック・ルートを気持ちよく登っているのだ。ここは松本駅前なんかじゃない、真冬の穂高、滝谷なんだ。初登攀のときなされたように、丸呑みなどせず、三口に分けて、黄身もバランスよく配分して... あぁぁぁぁ、うまか。うまかばい。よか。ピッチを区切る。



いよいよ最終ピッチ。このルートの終了点まで、あとわずか。スープを、いままで飲み干したいのを堪え抜いてきたこのスープを味わう時だ。レンゲを手に数回掬って、最後にどんぶりを持ち上げ傾ければ終了、しかしここがもっとも重要なのだ。至高のスープ。この惑星の宝。

そうなのだ。白きたおやかな、豚骨のスープ...。

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うん。今日も楽しめた、腹いっぱいに。







【狼煙 松本駅前店】
0263-34-4443/松本市中央1-5-21
営業11:30~03:00/日祝 11:30~0:00/無休
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by yabukogi | 2011-02-09 11:09 | 喰い物のこと


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