2010年 11月 15日

朝飯は、どんぶりだ。

庭の楢の木が、葉を落とすのだ。
ひらひらと風に舞う落葉が、ささやくように歌うのだ。

 秋の日のヰ゛オロンのためいきの...

朝から、やるせない夢心地だけが僕を包む。
なぜかぼんやりしてしまって、そのくせ、食べる。食べる。
山にも出かけず食べる。



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或る静かな朝のことだ。ラーメンを茹でた。え? 朝からラーメン? そう思われる方も多いだろうけど、僕は朝ご飯といえばラーメンだ。本音は炊きたてのご飯だけど、次はラーメンだ。マルタイの棒ラーメン。僕だけじゃない、僕の周りの連中にもたくさん居る。山のテン場で、まだ暗いうちに地面にケツを据えて、ずるずるずるっとマルタイをすするんだ。本当は前の晩の残り飯を雑炊にすることが多いのだけど、時間がある時は余裕かましてラーメンだ。ひと袋二人前がデフォルトだ。で、この朝は下界の朝だったから、具が入る。肉の塊みたいなやつは、ニッスイの「Newバーガー」という俵型のフィッシュソーセージで、焼いて美味しい。コーンは缶詰のもの。ニンニクチップは八ヶ岳産ホワイト6片種の揚げたて。もちろん揚げたオイルはスープにたらりと落としてある。右下に高菜漬けが見えるけど、これがあるとラーメンがぐんと味わい深くものに変わると、前にも書いたことがある。ネギがないのは、青ネギを切らしていたから。キクラゲがないのは忘れていたから。紅ショウガは、ふだん家に置いてない。




おぉ左側ね。どんぶりに炊きたてのご飯。うちには炊飯器がなくて、ナベで炊くのだけれど、最近はDugのPOT-IIというので2合炊き。ナベの形状が適しているのか、ふっくらぷりぷりに炊き上がる。ここには辛子明太子を載せて炒りごまをたっぷり振ってある。この朝はお替わりは我慢した。もう大人だから。




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或る日は、煮麺(にゅうめん)。素麺を使ったほんとうの煮麺ではなく、冷や麦をカツオと茸の出し汁でいただくのだ。冷や麦は夏のはじめにいただくのだが、どうしても蕎麦を選んでしまう僕の台所では、冷や麦が余る。余るといっても夏の間に消費する量が少なくて、秋深まった今ごろ、こうして、こうして...。

嗚呼、麺が見えない。左半分が白くて、これがご飯に見えてしまう。この白いものは大根おろし。近所の親戚の畑で育ったぶっとい大根を摺降ろしたのだ。奥の方の緑色は、ワカメ。去年だったか、僕自身、これからは好んでファイバーを摂取します、と宣言したこともあって、いまでもこうして毎日たべているのだ。真ん中は揚げ玉。これはスーパーで買ってくる。こいつはフリーザーで保存すると油が焼けるような劣化をしないから、ぜひ冷凍で。茸は市販のしめじ。出し汁で炊いて、茸からも出汁を取って。あぁ、胡麻をかけたのに、もみ海苔を振るのを忘れているじゃないか。半熟の玉子はレンジの弱で1分チン、でもどんぶりから墜ちそうだ。汚くてすいません。




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或る晴れた朝。蕎麦を茹でた。
やっぱりワカメは欠かせない。しゃきしゃきの歯ごたえは、ふやけた僕を目覚めさせてくれるのだ。ネギも、青いやつをたっぷり。奥の方は揚げ玉と半熟玉子だ。いつも同じで、代わり映えはしない。でも考えて欲しい、マクドのテリヤキに挟んである野菜のリーフが、あるときはレタスで、ある時はキャベツで... あり得ないだろう? いつも同じでいいってことも、この世の中にはたくさんあるんだ。どんぶり中央に赤っぽい粒が見える。これは善光寺さんご門前の唐辛子屋さん、八幡屋磯五郎さんのところの胡麻ふりかけ。缶がぼんやり写ってる。

ん。左奥? それは高菜ご飯だ。蕎麦をいただいてどんぶりを空にして、まだ物足りないような気持ちだったと仮定しよう。箸を置いてそれから立ち上がって台所へ行って冷蔵庫を開けたり何かを探すのって、すごくみじめな気持ちにならないだろうか。はじめからこうやって、次の行動や装備を予測して、準備しておくんだ。めしを喰うという行いでは、もの凄く大事なことなんだ。



秋が深まる。だからこそ朝飯は、どんぶりなのだ。
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by yabukogi | 2010-11-15 14:35 | 喰い物のこと


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