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その男、薮の彼方に消ゆ

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2010年 10月 30日

その男、鰊を炊く。

秋が深まると、その男は鰊(ニシン)を炊く。鰊は「春告げ魚」とも言われるように春に美味い。これを昔ながらのやり方で干物にしたら初夏であり、熟成させても夏が旬と思える。けれどもその男、なぜか寒くなると食べたくなる。


鰊は本来、かちかちに干し上げた本物の身欠き鰊を使った方が美味い。北国の海風に長期熟成された本物ならではの旨味である。それも脂身の少ないものが風味はまさる。京都のめし屋では、この本来のかちかちの本物をていねいに炊いた煮物が味わえるのだが、その男には京の都で美食を愉しむゆとりもない。本物のかちかちを手に入れて、手間ひま掛ける「づく」も足りない。




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そこでソフトタイプの身欠き鰊に手を出してしまう。しかしこれはこれで熟成させていない分あぶらが酸化していない。だから脂をしっかり味わえるのが嬉しい。江戸前のにしん蕎麦にも、たぶんこのソフトタイプの方が合う。柔らかな僕にも、ソフトな鰊が似合うのだ。



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身欠き鰊は、下ごしらえが肝心。エラとかワタとか、ていねいに取り去ってやる。そうすると味わいも良い。さらに番茶で炊く。番茶、玄米茶あたりの渋み成分タンニンのはたらきだろう、臭みが抜ける。番茶に煮出されて汁に逃げるのか、身から離れる。




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煮出しておいた番茶で約30分、ことこと炊く。味付けはまだしない。




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たっぷりめの番茶の中に鰊。冬になったら、何処へ出かけよう。あまり高い所へは、僕は行けない。鍋を混ぜたり突いたりせずに、軽く揺するぐらいで煮る。脂が浮いてくるけど掬うこともしない。手持ち無沙汰で、冷蔵庫に酒を求める。純米酒があれば越したことはない。






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一度ざるにあけてしまう。しっかり湯というか番茶汁を切り、布巾やペーパーで拭う。八ヶ岳もいい。冬の赤岳は、むかし合宿で連れて行かれて、文三郎の下りが怖くて怖くて、もうおしまいだと観念したことがある。いまでも怖いだろうな。




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これを、酒と味醂、黒砂糖のタレでこころ静かに炊く。煮詰まってきたら、酒を足す。そしてはじめて醤油を加える。醤油の替わりに「めんつゆ」を用いると食べやすい仕上りにもなる。しかし鰊の旨味だけで味わうなら醤油だけの方が好ましい。これは好きずきである。




整えた煮汁に落とし蓋をして、弱火で一時間ぐらい炊く。待てなくて冷えた酒を舐めながら、この冬に出かける山のことを思いながら炊く。秋に夕暮れの台所は寒くて、爪先がじんとする。冬山で爪先が冷えた時の感触が思い出されて、また酒が進む。冬用の山靴を新調するはずが、先送りになっていた。どうしても、いつもへそくりが足りない。




煮魚には生姜を加えるべきか。鰈(カレイ)の煮付けには加えよう。しかし鰯(いわし)を煮る時は生姜を加えず、僕は梅干を入れる。そんな風に煮魚だからと何でも生姜の風味にせず、魚種や炊き方で変えても良いだろう。今回の鰊には生姜は入れない。そのかわり牛蒡(ごぼう)を添える。一緒に炊くと鰊が牛蒡に負ける。だから鰊の煮汁を分けてもらって別に牛蒡を炊く。




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牛蒡は細い細い千切りにする。きんぴらにするときより細い。ささがきでも良い。これも好きずきである。これを流水にさらす。しばらくさらして灰汁を抜いてから、鰊の煮汁で炊いて煮詰める。添えれば風味はよろしく食感も好ましい。あわさって、この上ない。




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少し酔いが回って、とりとめのないことを思い出したりしていると、煮汁が煮詰まって香ばしいものが立ち昇ってくる。




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せっかく炊き上げたのに、もう酒が残っていない。でも甘露煮のように甘辛く炊いたから、ウイスキーも合いそうだ。これは机の下に何本か隠してある。冬が近づくと何でも隠して溜め込む習性は、僕の中の縄文の記憶だろう。




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机の下からウイスキーを取り出そうと、かたわらの仕事場の戸を開ける。すると僕の椅子には、ねこが寝ている。魚の匂いがしているだろうに、寝てていいものだろうか。

by yabukogi | 2010-10-30 16:11 | 喰い物のこと


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